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2019年8月25日日曜日

【鉄道 箱根】箱根登山電車

箱根登山電車
僕からすると結構親しみの有る鉄道なんだけど
やはりそれでも観光地の鉄道会社
騒然そうそう乗ることもない鉄道会社です。
今回は日帰り温泉を楽しむために乗車してみました。









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箱根登山電車

資本金  一億円
従業員数 279名
小田急の完全孫会社となっています。
事業内容は
鉄道 ケーブルカー 公園事業 温泉供給事業 不動産業 広告業
となっています。

主軸となっている 鉄道 ケーブルカー事業は
小田原駅から強羅駅までの15kmが鉄道業
強羅駅から早雲山駅までの1.2kmがケーブルカー事業です。

画像著作:ButuCC(wikiより)氏

あれ?箱根ロープウェイはちがうんですね?

もともとは小田原市内を走る小田原馬車鉄道、後に電気化して小田原電気鉄道が前身。
明治期の東海道線は工事の難航さから現在の東海道ではなく御殿場を経由したものを敷設していました。ということで小田原では国府津駅が基本となっており、市街地には延びてなかったんですね。そこで国府津駅から小田原市街地を経由して箱根湯本を結ぶインターアーバン路線として1888年(明治21年)設置されたのが小田原馬車鉄道でした。
静岡県の三島住民は鉄道敷設にそれほど興味を持っていなかったようですが小田原は逆で国府津駅から御殿場を迂回してしまう東海道に危機意識を持っていたようでした。足柄県復興を恐れた当局が鉄道敷設に前向きだったということです。
しかし開業当時は乗合馬車や人力車の組合からの嫌がらせや暴力事件が発生したそうですが当時小田原に別荘を構えていた伊藤博文の一声で取締りが強化され、それ以降その騒動は鎮静化されたそうです。

1900年に電力化され小田原電気鉄道と改められます。


同じく1900年には早川口駅から熱海に繋がる人力鉄道、豆相人車鉄道が連絡されるようになります。


1911年登山鉄道建設許可が下りる。


この頃から箱根山を中心に自動車事業にも乗り出していたが
富士屋ホテルが設立した富士屋自動車と競合。
1919年難工事を克服し箱根湯本-強羅間の登山鉄道が開業。
1920年(大正9年)国鉄の熱海線開通により、国府津小田原間路線を廃止。
富士屋自動車との争奪戦は熾烈を極め乱闘事件にまで発展する。
1923年(大正12年)の関東大震災により甚大な被害を受けて電力事業を日本電力に売却。
1928年、度重なる災害や、業績不振のため日本電力の傘下に入る。
1935年小田急との話し合いで小田原駅に乗り入れが決定。小田原箱根湯本間に路面ではない専用路線を開通。その後小田原駅から箱根湯本までの軌道線を廃線。


1933年京阪電気鉄道社長太田光凞の仲介により富士屋側との和解が成立。自動車事業を富士屋自動車と統合、その後富士箱根自動車と社名を改める。


1938年軍事統制下により布告された電力国家管理法により日本電力は経営基盤を失い、箱根登山鉄道及び富士箱根自動車売却を決定。



そういえば小田原に居を構えた松永安左ヱ門氏も電力の鬼といわれた方でしたね。松永氏は東邦電力でした。小田原というのはなかなかいろんな人が集まる場所だったのかも知れませんね。

1942年富士箱根自動車を含め東急傘下に入り、五島慶太が社長に就任する。


その後戦争末期の激化の為、事業を一時休止するなどした。

戦後、1948年。財閥解体で東急が東急、京王、京急、小田急に分轄。
1956年、供給電圧の差から維持に困難を呈していた軌道線事業を補助金を受けることで停止。全ての軌道線事業から撤退する。

そして...
戦後、箱根山を舞台に繰り広げられる西部電鉄対小田急電鉄の箱根山戦争に突入していくのです。

しかしまぁ勇ましいこと...

この箱根の山は無頼者の集まりなのでしょうか?w
とにかく喧嘩っ早くてしょうがありませんねw


歴史がわかると旅もまたより楽しくなるものです。
ということで箱根登山電車に乗り込んでみましょう!

今回は 

1.大平台温泉で日帰り温泉を楽しむ
2.強羅からケーブルカーにて公園下駅までむかい箱根美術館で秋を楽しむ

です

まずは箱根湯本駅から登山電車に乗り換えます。

駅番号はOH51です。
やはり外国人が多いですよね。
イスラエルから来た一団に声をかけられました。

乗車した登山電車はクモハ2003系 サンモリッツ号だそうです。

写真:Nagara373~jawiki (wikiより)

電車はとことこ進んでいきますよ。
そしてたどり着いた駅は

大平台駅(OH53)



です。
1919年(大正8年)に開業したようです。
一日あたりの乗降者数は325人

大平台温泉を控えた駅です。


スイッチバックという形式で


ここでどんつき そしてバックして再び昇る形式です。


この駅は二台同時に停まれるので単線の箱根登山では電車の行き違えで利用されてます。





基本無人駅です。
でも最近はタッチカードでピピッといけますし、出る際には駅員居たような...


駅舎は山小屋風。かわいらしいよね。
国道一号沿いにあるのですが始めて通る人にはコレが駅?と感じるようにこじんまりしているし駅前のロータリーのようなものもありません。


上から見ると結構いい景色が見えるんですよ。
登山電車も上からみえますよ。


紅葉時季は最高ですね。


さてここでは姫の湯に遊びにいきました。
なかなか熱い温泉。利用には注意がひつようですよ!


姫の湯の話は別の記事でお伝えします。

さぁ電車に再度乗り込みます。
目指すは強羅駅。

しばらくとことこ上って行きますよ。

そして到着したのが...

強羅駅(OH57)


大平台駅同様1919年開業。
乗降者数 6835人。

おぉぉ 結構いますよね。
小田急線のワースト4位である富水駅の6850人より多い!

この駅は登山電車の終着駅です。


構内は結構広いです。


そしてこの駅はケーブルカーの始発駅でもあります。


チケットがケーブルカーも利用できるものであればそのままいけますが
今回は一旦改札をでます。



駅舎は大きな山小屋風。



さぁケーブルカーに乗り込み公園下駅にむかいますよ!

ということで
箱根美術館についてはさらっと終了。


次回ね
紅葉の箱根美術館を紹介しますね。

さて紅葉を楽しんだあとは当然そのママ帰ります。
もちろん箱根登山電車に乗り込んで...


紅葉の中の登山電車で下っていくのは悪くないですね。











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