いわばセントラルパーク的な位置づけのこの公園。
夜になるとゲイカップルの憩いの場になるそうですが...
今回は散歩がてらそんな二二八和平公園にアクセスします。
元々はこの公園
日帝時代に建設された台湾初の様式公園。1908年完成。
それ以前は台北府城なるものがあったが陥落後は何も無い荒地だったそう。
日帝時代に整備計画が持ち上がり児玉総督後藤民政長官記念館、現在の台湾博物館が1915年に完成している。
その多くは日帝時代の建築物。
日本からはどんどんなくなりつつある貴重な建物が目白押し!
こりゃチェックしないといけませんね。
ただ時間との戦いの面が有ります。
Youbikeを活用しましょう!
二二八和平公園に行きがけにもすでに古い建物が...
こちらはギリシヤ調円柱とマヤ形式の建物で設計された元日本勧業銀行。
竣工は1933年。昭和8年。中華民国三級古蹟に指定されています。
戦後は土地銀行となっています。
なかなか重厚感があって良いですね。
豪華な感じですが残念ながら公開はされていません。
説明文はこちら
まぁ読んでよw
場所はこちら...
さてその前にあるのが国立台湾博物館。
今回は時間の余裕が無いので周囲をくるっと見ただけで終了です。
公園はやはり南国 椰子系の植物がずいぶん有ります。
公園内は中国式建物も有ります。
子供の遊べるスペースも有りました。
太極拳している人いましたよ。
いいね~
今は憩いのスペースとして利用されているこの公園ですが
二二八和平公園の由来は
まぁ事件があったからですね。
日帝敗戦後台湾はカイロ宣言に基づいて国連軍の委託を受けた中国国民党が支配するようになる。一時は歓迎ムードもあった台湾だが、その汚職などの腐敗の酷さに失望。狗去豬來と陰で外省人(本土中国人)に不満を持っていた。
そんな矢先の1947年2月27日台北にて闇タバコを販売したとして内省人(台湾人)である40歳の女性が逮捕、暴行を受けるという事件が起きる。
日本ではタバコ、塩等専売制を取っていたが中国ではタバコなど自由販売せいだったため不満を感じていた台湾人は多くいたためその女性への同情とあいまって多くの台湾人が集会に集まった。すると取締官が放った威嚇射撃が全く無関係の台湾人に命中し死亡。
怒りを爆発させた台湾民衆が28日大挙して市庁舎に押し寄せた。その非武装の住民デモ隊に対し国民党政府は機関銃を掃射。多数の死傷者が出る。当然怒りに震えた台湾民衆は大規模な抗議活動に発展し、全土でのろしが上がる。
劣勢に転じた国民党政府は本土側に応援を要請。蒋介石は大規模な舞台を台湾省に送り込み鎮圧と粛清に走り出しその後台湾全土に40年近い戒厳令をひく。粛清された人数は延べ2万人とも3万人とも言われる。この恐怖政治を白色テロと台湾では呼ばれている。
その事件の中心的場所だった二二八和平記念公園にはその二二八事件のときに園内にあったラジオ局を台湾住民が占拠して台湾全土に蜂起を告げたという経緯がある。
1996年2月28日当時の台北市長陳水扁氏が犠牲者の追悼のため二二八平和記念碑を公園に設置、同時に公園の名前を二二八和平記念公園と改名するにいたる。
白色テロは1987年総統蒋経国時下により解除。その後台湾で始めての民選で選ばれた総統、李登輝により刑法が改正され表現の自由が認められ1989年に公開された侯孝賢監督の映画「悲情城市」がヴェネチア国際映画祭で金賞を受賞。二二八事件に大きく関心が向けられることとなる。
映画「悲情城市」というと観光地の九份を思い浮かべる人が多いですが
その題材は二二八事件なんですよね。台湾に行く前にこの映画観ておいても良いかも知れません。
総評:まぁ公園ですねw確かに中国風建物などは有りますが横浜中華街の関帝廟のほうがよさそうwでも太極拳とかね。やっている人の営みのほうに文化的価値を感じますね。
散歩するには良いと思います。
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