なんて古い…と思われると思いますがまぁのんびりやってるブログですからね。
お許しください。
今回は自分の個人的なご褒美としての企画。
伊豆伊東を訪れた方なら一度は目にしたことであろう美しき稜線の山。
しかし今回は自分へのご褒美!意を決してあの美しき山、そしてあの力強き女神の山体に触れてみたいと挑みました。
伊東市街地を過ぎてしばらく走ると大室山の目印がありますのでそちらに曲がり程なくすると ぶわぁっ と山の形が見えてきます。
なんというか本当に神々しいというか素晴らしい山です。
この山に祀られているのは磐長姫。
なんでも特徴的な顔立ちの女神だったとか…
誰がそんなこと言ったんだ?
とんでもない!とても美しいじゃないか!
緑色に包まれた山はむしろ美しさの方に目がいく。
山腹をぐるっと一周してその容貌の美しさに見とれながら駐車場へ…
駐車場は平日の昼間ということから車もなくスムーズに駐車。
するとその駐車場に孔雀が歩いているではないか…
多分隣接するバナナワニ園から出てきたのであろう。
ほぼ放し飼いだと思われる。
ナンテコッタイ 神々しさだけでなく美しさも兼ね備えているじゃないか…
早速登頂を目指す!
と あれ? リフト?
そう大室山 リフトがあるんですw
意気込んで山登りなんて必要ないんですね 笑
さてリフトの往復チケットを購入。
そのチケット売り場に大室山のいわれが書かれたチラシがありました。
そこにはこのように書いてあります。
ーーーーーーーーーーーーーーー<表>ーーーーーーーーーーーーーーーー
*富士山(世界遺産)と国指定天然記念物の大室山は姉妹です。姉の大室山から妹をほめてはいけません。ほめた人に かすかなたたりがおこるといわれている伝説があります。このような神話・伝説があるため、妹は姉の機嫌の良い ときしかきれいな姿を見せてくれないのでしょうか?
*大室山 (磐長姫の命) *富士山 (木花開耶姫の命 )
*神話と伝説は、うら面をお読みください!
ーーーーーーーーーーーーーーー<裏>ーーーーーーーーーーーーーーーー
「大室山祭神と富士山」
大室山浅間神社の祭神は「磐長姫の命」、です。「ご利益は、安産・健康長寿・録結び・受験合格」浅間神社は 全国に二千社ほどあり、富士山をはじめそのほとんどが「木花咲耶姫の命」を祀っているのに対し、ここ大室山神社は「磐長姫の命」を祀っています。神話によれば磐長姫は大山祇神のの第三女で、木花咲耶姫は第四女でした 。
「二人はとても仲の良い姉妹で、妹は咲く花のことく美人ですが短命で、それにひきかえ姉は不器量であるがその寿命が磐のように長く才能も優れていたといわれる。ある日、者い男の神様(ににぎの命)が一人で散歩している途中、妹を一目見て心をうばわれてしまい、さっそく身元を調べ父である大山紙神に妹をめとりたいとお願いした。父は仲の良い二人一緒なら と云う返事をした。若い男の神は喜んで二人を迎え入れた。しかし、男は妹ばかりを近くによんで、姉の方には見向きもしなか った。妹が幸せになれるのならと、姉はじっとがまんをしていた。妹は姉の姿が見えないのを心配しては首をのばしていた。
長い年月がたつうちに、姉に我後の限界が来て、姉は妹に嫉妬しうらむようにさえなった。とうとう姉は父の所へ送り返さ てしまった。それ以来、大室山と富士山は互いににらみ合ったままでいるといわれています。」という伝説がございます。
『送り返されてから、すでに天孫の御子を懐妊されていた、磐長姫は大室山山頂にかやで産屋を造らせ中に入るとかやに火をつけさせて炎の中で火の神三柱を無事出産されたという。』
ーーーーーーーーーーーーーーー以上ーーーーーーーーーーーーーーーー
この中で木花咲耶姫が首を一生懸命伸ばして姉を見ようとしていたので背が高くなったと言われています。それが富士山ですね。
対して磐長姫は実は同じ静岡県伊豆半島、賀茂郡松崎町雲見にある烏帽子山(163m)住んでいたと言われています。山頂には浅間神社があるそうです。雲見の人たちは富士山には絶対登らない。富士山を称えもしないと言われています。大室山と似たような風習ですね。
伊豆はどうも磐長姫にゆかりがある地域のようです。確かに半島全体が山に覆われなんとなくゴツゴツとした感じもします。しかしそこには多くの金が含まれており、戦国時代北条早雲の大きな資金源となったとも言われているようです。そう考えると磐長姫。隠れたものを多く持っていたようですね。
大室山は火の神が生まれることになります。
ここは火山がそこかしこにある地域。なるほどと感じますね。
リフトで山頂まで登るとやはりここでもか!?
と写真撮影!ほぼほぼ自動で撮影されます。
到着するとお鉢の中がこちらも ぶわっと 広がります。
なんとも雄大な感じ
なぜかお鉢のしたにアーチェリー広場が…w どういうことでしょう?
でも意外とやる人おおいみたいw
それほど時間はかからなそうです。
しかしすごい景色…
箱根の駒ヶ岳もすごいですがこちらは少し違った感じ。
なんだか穏やかな、とても暖かい感じがします。
とぼとぼと歩いていると…
オヨヨ これは? 説明文にはこうあります。
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八ヶ岳地蔵尊
海上安全·海難防除·大漁析願のため漁師の人達によって建てられた。ここに立って海上を眺めると伊豆半島から房総半島を一望におさめることができる。近代装備を持たない昔の漁師は、八丁櫓で威勢よくこの海へ乗り出し、大室山を目じるしにして最良の漁場を定めた。現在の地蔵尊は昭和五十九年に地元池区民の寄付により再建された。奥にあるのは以前の地蔵尊である。
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なるほどね〜
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三等三角点大室山ここに設置されている標石は三角点と言い、地球上の位置(経度・緯度)が高い精度で求められています。三角点は、私だちのくらしにも密接な関わりがあり、地震予知や地図作りを始め、いろいろな測量の基礎となる重要なものです。北緯34度53分59秒224東經139度05分52秒094
標高579.64m建設省国土地理院設置明治17年(1884年)
火山がつくった伊東の大地
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眼下に見える池盆地の田園風景は、大室山から流れ出した溶岩によるせき止め湖のなごりです。明治初年まではこの湖がのこっていたため、この盆地周頭は「池」と呼ばれていました。明治以降に湖を干拓して生まれた水田では、四季を通じて美しい里山風景を楽しむことができます。
池盆地の背後にある矢筈山(やはずやま)と孔ノ山(あなのやま)は溶岩ドーム(ねばり気の強い溶岩でできたドーム状の山)、その左手に見える伊雄山はスコリア丘(ねばり気の弱い溶岩のしぶきや火山弾がつもった丘)、いずれも約2700年前の割れ目噴火で同時につくられました。さらに奥には約14万年前の噴火でできた遠笠山や、20万〜80万年前の噴火でつくられた天城山の山々があります。
The pastoral landscape of the Ike basin is a remnant of the dammed lake formed by lava flows from Omuroyama Volcano. This lake remained before the reclamation project launched in 1869. Therefore, this basin was given the name "Ike" ( "pond” in English).
Yahazuyama and Ananoyama Volcanoes, located behind the Ike Basin, are twin lava domes (dome-shaped mountains made from high-viscosity lava) and Ioyama Volcano on the left is a scoria cone (small mountain formed by low-viscosity volcanic ejecta spewed from the crater). These three volcanoes were made by a fissure eruption about 2,700 years ago. Further back, you can also find Togasayama - Volcano, born from an eruption approximately 140,000 years ago and a range of mountains constituting Amagi Volcano, formed during a period of volcanic activity, 200,000 to 800,000 years ago.
どおりでボコボコっと出っ張りのような山が見えるとおもった…。
あれら火山だったんですね。
そういえば天気のいい日は小田原からこの大室山が見えるのですがやはりボコッと出ています。
その右端に小室山も見えるのですがやはりボコッと出ているのです。
次々に噴火したのがわかりますね。
その最大が現時点で富士山であり、箱根の山と考えるとなかなか感慨深いですね〜
そこにはこんな説明文が…
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五智如来地藏(ごちにょらいじぞうそん)
この五智如来地蔵尊は、寛文の初め頃(一六六三年)相州岩村(神奈川県足柄下郡)の網元朝倉清兵衛の娘が九歳で身ごもり、その安産を大室山浅間神社に祈願したところ、無事安産したので「おはたし」と称してお礼に、真鶴石で五智如来蔵を作らせ、船で城ケ崎の富戸港に運び、富戸の強力兄弟が、一体を三回に分けて背負い、計十五回で現在地に安置されたと伝えられています。昔から願い事を「かなえて」下さる優しい心の神様として、伊豆、相附近の方々の信仰が深く、特に安産と縁結びの神様として参詣が多い。
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きゅっ九才!?
ナンテコッタイ…
しかし1663年といえば関ヶ原から63年。
そりゃ寿命も平均50歳程度と考えると当時の9歳といえば今でいう15ー6でしょうか?
まぁありえない話じゃないですよね。
しかし奉納した朝倉さん。さすが網元だけあってなかなか豪勢なことをしますなぁ〜
せっかくなので磐長姫に会いに行こうとお社へ…
なるほどここが産屋か…
お参りをして…
下のリフトへ…
磐長姫 もしかしたら確かに木花咲耶姫と比べれば大したことはないのかもしれませんが、
実は相当な美人だったと私は考えます。しかも丈夫で才能も豊富。
金の草鞋を履いてでも探すべき神だったのかもしれません。
あぁ美しい女神に出会えて至福の時でした。
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