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2017年6月22日木曜日

足柄峠と足柄城址

足柄の御坂に立して袖振らば
   家なる妹は清に見もかも

      埼玉郡(さきたま)の上丁(かみつよぼろ)藤原部 等母麻呂(ともまろ)

足柄峠は神奈川県の西の端。
足柄山塊にあります。
古代の東海道はこちらが主要街道。
江戸時代は脇街道となりましたがその後も関も置かれ
やはり街道としては重要な街道でした。
矢倉沢往還とも言われていました。

さてその古い街道の主要な位置だけあって史跡の多いこの足柄峠に
今回行って見ました。
そこでは神話の時代から連綿と積み重なった縦軸の歴史に押しつぶされそうな感覚すら感じます。

ぜひご覧ください。


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先に紹介した
 
 足柄の御坂に立して袖振らば
    家なる妹は清に見もかも

は防人の詩です。
防人(さきもり)といえば大和朝廷が大化二年(646年)の大化の改新以降九州防備のために置いた軍事兵隊。任期は三年。そのほとんどは東国の農民からの徴兵だが税の免除などはなくみんなやる気はなかったらしい。
防人はいわば兵隊なのだけれども桓武天皇が延暦十一年(792年)に健児(こんでい)の制を試いて実質兵役はなくなったが防人だけは継続されたとか...
足柄峠は東国とそれ以外を分ける境の地。
皆ここで家族との別れを偲んだ.



足柄峠への路は東名大井松田インターを降りたらその前の真っ直ぐ続く県道78号線をとにかく真っ直ぐ進みます。そしてトンネルを越えたちょい先、竜福寺交差点を左折。
そしてどんどん登っていきます。
どんどんどんどん。くねくねくねくね。これは県道78号線です。
そしてしばらくすると上り坂が徐々になだらかに...
そのあたりが足柄峠です。



峠は結構景色はいいです。
相模方面を見ると
左側に矢倉沢岳を望み、右側に箱根の峰です。


このあたりは神奈川県南足柄市。
太古から多くの人々が行きかう交通の要所。
多くの詩が残されているということで万葉公園として整備されています。
いわばこのあたりは飛鳥時代~平安期の頃の歴史由来です。
防人に借り出された百姓の人たちはここで最後の詩を読んだかと思うとなんとも感慨深いです。


そしてちょこっと先に進むとここが県境。
あるのは今度こちらはなんと神話時代の物語由来の足柄明神。




歴史は1500年以上も前のようですが神様のお社は転々とします。
この地は元宮の地だったそうです。
本格的なお社は天慶三年(940年)に創建、一時矢倉岳に遷座し矢倉明神という名前に変わります。その後苅野に移転するもその主神がヤマトタケルになったため一部氏子が抜け、この地に祠をたて足柄神社を再建したそうです。


主神は足柄明神。日本武尊が東国侵略(東国征伐)に向かった際、白鹿の姿で現れ襲おうとしたが蒜(ひる:にんにく?)で撃ち殺され、それにより東国が平定されたということです。


よって地元の人たちからすると足柄明神は東国において最後まで抵抗した英雄ということになります。
しかしにんにくで撃ち殺されるってどうよ?w


なぜか河童が...


しかしその足柄明神。とても愛妻家だそうで「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」によると亡き妻の鏡にさかみ(どういう意味か不明だけどもしかしたらその姿のことかも)をみるほどだったそうでそこからこの地を相模(さかみ)というようになったとか...

因みに足柄山といえば金太郎ですが金太郎の母親は足柄明神の巫女だったそうです。


ちなみにここは足柄城址の明神郭跡だそうです。


鳥居をくぐって戻ろうとしたところあれ?ここにこんな看板が...


竹之下合戦史跡とあります。
またぁ~ 何よその竹之下合戦とは...
建武二年十二月(1336年1月)に足利尊氏と新田義貞の間で行われたのが竹之下合戦のことだそうです。
元々後醍醐天皇の下、鎌倉幕府を討伐した尊氏は建武の新政に不満を持ち始めた鎌倉の残党を討伐するため征夷大将軍となり東国に赴く。しかし命を無視しその東国で自領を広げ始める。その際東国の領土を奪われたが新田義貞でその領土を奪還すべく天皇に直訴。認められ東国へ向かう。その際戦われたのがこの竹之下の合戦だそうだ。
そもそも竹之下の合戦は箱根竹之下合戦といわれ二陣に分かれての戦いだったそうで新田は箱根、弟の脇屋儀助(わきやぎすけ)が足柄峠。
対する足利軍は足利直義が箱根、尊氏が足柄峠に布陣した。
箱根では新田軍が快勝したが寝返りもあり脇屋軍は大敗。退路を絶たれるのを恐れた新田軍も退いた。
その後戦局は大きく変わっていったそうだ。


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なんと古戦場でもあったわけね...これは南北朝時代のお話。

つづいて少し足柄街道を御殿場方面に向かいます。

するとトイレと民家、そしてなにやら大きめのお社、そしてちょっとした広場が見えます。このあたりに足柄の関所があったようですが今はありません。
江戸時代の矢倉沢の関はもっと麓のほうなのでここはそれ以前の関所跡。
1221年頃には「有もやしけん跡だにもなし」とも詩に読まれたそうなので
鎌倉期にはすでになくなっていたものと思われます。

因みに今ある足柄関所跡の前の門は黒澤明監督の「乱」で使われた映画セットの門を移築したそうです。

さて先に進みましょう!
切り通しのような場所を抜けると
ぱっと空が広がります。
そこに駐車場があります。

そうここが足柄城址の駐車場です。
数台停められる小さな駐車場ですが
それで充分。

その駐車場の脇にポツリと碑がとなんだか岩があります。
なんだ???


新羅三郎義光吹笙(しょう)の石だそうです...

またぁ~w もうこの小さいエリアにやたら歴史が凝縮されてるw
ホントすげーな...ここ...w


新羅三郎って誰やねん!
新羅三郎は本名 源義光(みなもとのよしみつ)。近江の三井寺、新羅明神で元服したので新羅三郎と名乗ったとのことです。源義家(みなもとのよしいえ)の弟です。
義家こと八幡太郎は永保三年(1083年)から陸奥国司となった人物で源頼朝の五代前の人物。さらに足利尊氏の十代前の人物。在地豪族である出羽清原氏の内紛に介入し清原一族を滅ぼすのが後三年の役。しかし朝廷から私戦と非難され寛治二年(1088年)職を罷免される。その際、出羽清原氏の跡を継ぐのが藤原清衡(ふじわらのきよひら)。奥州藤原三代の初代当主。
この吹笙の石はその後三年の役の頃の話。


長兄義家の苦戦を聞いた義光は朝廷に東下を乞うたが許されず。官を辞して寛治元年(1087年)陸奥に向かう。彼は弓馬の術に長け、音律をよくしたとのこと...
義光は楽家で高名な豊原時忠に師事、笙を学び秘曲「大食調入詞」と名器交丸を手に入れる。時忠の亡き後、孫、時秋は義光を尊敬し、義光に加勢しようと後を追う。そしてここ足柄山で追いつき動向を申し出る。時秋は早くに親を亡くし、秘曲を受け継いでいなかった。義光はこの戦で名器名曲が失われるのを恐れこの足柄峠の岩の上で秘曲を時秋に伝授。交丸を授けた時秋を都に返したという逸話が「古今著聞集(こきんちょもんじゅう)」に記載されており、伝統を受け継ぐ者の心意気を表した美談として受け継がれているそうだ...。

た・だ・し...名器交丸を受け取ったのは時元であり、場所も滋賀にある逢坂山だったというほうが主流でありこちらはあくまでも伝説としての伝承であるようですw

脇に周辺の観光案内看板が建ってました。


さてその岩から振り返るとそこにあるのは...


きたーーーーっ 足柄城址!


城址の石碑前には足柄峠の名称などが記載されていますがさすが歴史の坩堝。
この小さなエリアにあるある色々な史跡伝承。
すごいですね。

では早速城跡を見に階段を登ります。
登った先にあるのは一の郭...


結構広い...
一の郭内には玉手池なるものがあります。


足柄明神姫からつけられたとありますが足柄明神の娘ということなのでしょうか?
玉手姫というとつい考えてしまうのが歌舞伎演目にある「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうつじ)」の玉手姫。安永二年(1772年)に大阪で初演。話の内容は兄ラブの妹玉手姫が兄の命を守るため色々試行錯誤した上に最後は実父に殺されるという話...。なんとも悲しい話だけどなんとなく今の妹萌系アニメの元祖なきもするw

まぁその話とはちがうよねw


つづいて二の郭。こちらもなかなかの広さ。


ここはとても景色がいいのです。
駿河側を見ると目の前にドドンと富士山を眺めます。
富士山の脇に沈む太陽がまぶしい!


足柄城は元々は大森氏によって築かれた城でその後、天文五年(1536年)に北条氏綱によって改修されています。豊臣秀吉の侵攻を受けて廃城。


そして三の郭...
なんだかゴルフ場みたいw


三の郭から一の郭まで小型ドローンを飛ばしてみました。
ご覧ください。





どうですか?
足柄峠。
神話の時代はヤマトタケル。
奈良時代には防人。
平安初期には聖天堂の弘法大師。
平安中期は坂田金時。
平安後期は源義光。
南北朝期は足利尊氏。
戦国期は北条氏綱。
多くの人物が歴史を刻んでいます。
峠というのは何らかの因縁を残す場所なのかもしれませんね。

皆さんもこの縦軸の歴史を感じに足型峠訪れてみてください!

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実は今回立ち寄れなかった。神奈川側の地蔵堂周辺の足柄うどん。
ここもお勧めです。


なお地蔵堂は県の重要文化財となっています。




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