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2017年8月19日土曜日

江戸東京博物館

両国にある有名な建物といえば
もちろん国技館
そしてあの江戸東京博物館
ですよね。

でも相撲は観覧するのにけっこう高い
そりゃなかなか行く機会はないよね。
ならば江戸東京博物館くらいいってみたい!
そこで今回は江戸東京博物館です。




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あの不思議な概観。
柱に支えられた台形の建物。
正直ちょっとダサいw


さて入場は地下階から入ります。
実際には地下ではなく建物の土台のところです。
でもなんとなく地下のように感じちゃいます。


その入り口の近くに家康像があるのですが
それもダサいw


14時半 さて中に入ります。


中にはいると


なんともおめでたい熊手が迎えてくれますw


さて入館券ですが
すでにホテルで購入済みです。
特別展を含んだチケットが通常1560円のところ1240円で販売。

<特別展>
今回はNHK大河ドラマ直虎にあやかっての直虎展
正確には「戦国!!伊井直虎から直政へ」展です。


特別展のため写真撮影は一部を除きダメ!
まぁそういうものですよね。
基本構成はまずは伊井家を取り巻く周辺諸国、今川、武田、徳川の展示。
そして伊井家の展示に入り直虎そして直政を含む徳川四天王の展示、
最後に伊井家の赤揃えの展示 最後に彦根城がパネルに写るという流れ...

一部写真撮影可能だったのがこちら...

基本寺院やた神社などからの展示です。
伊井谷・龍潭寺

伊井谷・龍潭寺





浜松・正泉寺


浜松・寺野六所神社


しかし鰐口が展示されているとは...
鰐口ってなんか昔の人にとって結構色々大切なものなのかも...w

最終手にな伊井家の展示は多くが彦根城の博物館からの借り入れ。
なので見たものばかりですw

やはり伊井直虎の時代は伊井家も単なる地方の小豪族でしかなく
資料も乏しいようですね。
そのため資料が多量な今川や武田、徳川の資料を合わせている感じでした。
まぁ直虎だけでは持たなかったといったほうがいいかもしれませんw
確かに結局宮ヶ瀬の矢口長者伝説とあまり情報量としては変わらないかもしれません
でも伊井家のほうが当然資料は豊富だしまぁ時代も新しいしね。



15時半ころに特別展を出ました。

さて常設展へいきますよ!
常設展は六階だそうです。
エレベーターであがります。

係りの人に伺うと
写真撮影OKとのこと...なんとも良心的
まぁココの展示物はほとんどイミテなので
問題ないのでしょう。やっぱそっちのほうが楽しいよねw
ただし飲み物の持ち込みはダメ!持っていたお茶はビニールを渡されて中に入れて持ち歩くよう言われました。当然だねw

さぁ中に入ると...



ででーーーん!!!

すごーーーい 広い
体育館ジャンね~

ということで...
<常設展>


はじめの出だしからの大橋!
日本橋だそうですw

横幅はこのサイズだそうです。
結構でかいね。
長さは半分のサイズだそうです。

この常設展では回っていくうちに徐々に現代に近づくように設計さています。
一番最初はこの日本橋からスタート
橋の対岸には江戸の町並みと江戸城や各藩の江戸屋敷が模型で表示されています。
そして徳川家康の展示や江戸幕府の構成
続いて江戸庶民の生活や文化
そして文明開化のゾーンに入り東京の発展
戦争への突入、さらに戦後の東京文化と続きます。


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橋を渡ると目の前にあるのは日本蜂北端の江戸の町並み



どうもあの実物大の橋からこの模型の橋に続くようにできているようです。
ココは銀座。
待ちの賑わい喧騒が伝わってくる感じですね。




左手に行くと
松平伊予守の上屋敷が紹介されています。






写真両端がこの屋敷主である松平伊予守が入った門 真ん中は客人が入った門とのこと


福井藩藩主邸です。
福井藩は32万石
なかなかの大藩です。
上屋敷といってもお城みたいだね~w
寛永年間の建物。西暦1624年から1645年にできた建物。
このブログ内では一番近いのは関の小万の頃ですかね。

このお屋敷の向こう側にはあの有名な屏風絵のレプリカがありますよ...





江戸屏風図です。家光の頃の江戸を描いているようです。

日本橋周辺の模型も大名屋敷もこの屏風図を元に作成されているようで
この屏風図に各所が同じです。

ここが屏風図絵内の松平福井藩邸です。

 

同じだよねw

さて進路を右手にとると...
出てきたのがこちら...


ででーーーん 江戸城本丸松の廊下!
「殿、殿中でござる。殿中でござる!」のあの廊下だ!
赤穂浪士の仇討ち話はそこから来るのだけど...



もうココだけでもご立派!
しかし是もごく一部
江戸城全体ってどのくらいのものよ!?って思うのは人情というもの...ということでその向こうにひかえているのは...









きたーーーー

江戸城本丸と二の丸の模型です!

きょっ巨大...
日本最大にして最高の城郭江戸城。
城下町まで覆う総構えは広大。
江戸幕府四百万石の居城であり宮殿であります。


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すごいね 松平伊代守の上屋敷だってすばらしい邸宅だったけど
もちろんそんなの比じゃない...
超巨大施設 この石垣を全て手で積み上げ、そしてこの巨大施設を木造で作り上げる人間のすごさは圧巻ですな!
因みに先ほどの松の廊下の模型はココの場所を再現しているようです。


因みに江戸屏風図では以下の場所を再現しています。
すごいねお城全体のごく一部でこれだもんね...
江戸幕府の権威のすごさを感じます。


因みに天守閣ですが江戸幕府開府早々の火事で燃え尽きてます。
それ以降天守閣はありません。
まぁあんなものは無くてもすでに宮殿化していく太平の城には必要ないですよね。
熊本城も結局お城はあるもののお花御殿に政治の中心は移っていきます。
利用しづらい攻撃性のある城なんて平和な時代には必要ないですね。

さて江戸城の大模型の向こう側には江戸で発生した火事などの年表などがあります。
江戸はとにかく火事に悩まされた町。
火事とけんかは江戸の華なんていいますが当然火事を起こした場合大罪とされ死罪でした。それだけ火事は恐れられたということになります。
そりゃ記載されますよねw よって風呂好きな江戸っ子も家には風呂場はありませんでした。みんな公衆浴場に通うことになります。結構な商家ですら自宅に風呂はなかったというからみんな火の用心だったわけですね。

さてそれと当然江戸幕府開府の立役者、家康の彫刻があったりします。


あと江戸の組織図や参勤交代の絵図。


大名籠やら


甲冑やらが展示されてます。


そして順路通り階段を下りると...

こんどは江戸の庶民ゾーンです。
江戸庶民の自宅や文化の再現です。


一番左は江戸庶民の部屋 真ん中は寺子屋 一番右は桶職人の工房だったかな?

ここには江戸の町火消しの展示もあります。

そして僕は江戸文化の象徴と思っているのが浮世絵なのですが
その浮世絵の版元の展示があります。


なぜ浮世絵が江戸文化の象徴かというと
何もヨーロッパでジャポニズムを産んだからということじゃありません。
古今東西画家なるものが生活できたのは金持ちのパトロンがいたからなのですが
ココ江戸の画家だけがパトロンではなく庶民が画家を食わせていたということなのです。
そんな社会はほとんどありません。
平和で高度に知的レベルが高く成熟した庶民がいて初めて成立するのが画家をパトロンなしでくさせていける経済レベルです。
それがすでに江戸では開花していた...
そこが江戸文化のすごいところなわけです。
よって日本の画家が描いたのは金持ちの絵ではなく庶民や習俗の絵。
そりゃすごいよね。


版画が刷り上るまでの工程も展示されてます。興味深いですね。

さてココからは日本を代表する食べ物屋などの展示です。
そう日本を代表するファーストフード
寿司です。


元々は押し寿司やらバッテラのような保存食から始まった寿司が
握り寿司というファーストフードになったのは文政年間(1818年~1831年)というからそれほど遠くない昔、華屋与兵衛が考案したとも同時期の堺屋松五郎が松の鮨を開いたからとも言われています。
まぁ今じゃあまり関係ないでしょうがもしかしたら寿司と書かれている店は華屋与兵衛系、鮨と書かれている店は堺屋松五郎系なのかも知れません。

江戸時代を1603年から1863年までとすると意外にも握り寿司の歴史はそうそう古くは無いということになります。江戸の代表格のような食べ物と思われていた寿司ですが意外にも江戸時代の人たちのほとんどは寿司食べてないんですねw

さてならば江戸の食事といえばなにか...
それはやはり江戸ファーストフードの代表はこれ!


そばだ!
二八そばといわれていたそうだが江戸時代においてすでにその二八の意味がわからなくなっていたとか...(価格が16文だったからという説もある。)笑える。
店主は上のような籠を担いでそばを売り歩いていました。
この籠がまた結構良くできてる。


器を入れる棚にお湯を煮る釜。茶つゆを入れる器入れにそば玉や洗う場所、そして箸まで
この小さなスペースし確り収まっている...もう感動だね。

こんなそばやでそば食べたら本当に美味いだろうね~
冬の大晦日。深々と降る雪の中除夜の鐘でも聞きながら寒い寒いとそばをすするのは格別じゃないかな~

さて小さな商売人もいれば江戸には大商人もいる。
そう、悪人の代名詞 「おぬしも悪よの~」の越後屋こと三井呉服店だ!
現在の三越三井グループの元祖だ。





現金掛け値なし!日本式の値札つきの商売を始めて大成功した呉服店。
越後屋は悪というイメージはどこから着いたかわからないけど
その実、越後屋は一切賄賂などは使わなかったとか...
商売に誠実であり続けたのが三井呉服店だったわけですね。
延宝元年(1673年)に創業。海外に行くと判るけどあの値札販売
とても購入しやすい。海外の店は値段が書いてないことが多いですからね。
世界スタンダードかと思っていたけどあれは日本人の三井高利(みついたかとし)に
感謝です。


店内を見るとその賑わい振りが垣間見れます。




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さてこの三井呉服店と並んで展示されているのが
こちら...


そう北前舟です。


江戸時代には欠かせない大型輸送船。
主に海の穏やかな西回り日本海経由の船でした。
大阪が日本の台所といわれた理由はその西回り航路にあったといわれています。

北前舟というと思い出すのが私の場合、紀文こと紀伊国屋文左衛門。
なかば伝説的大商人として伝えられる人物で紀州湯浅の出身。
寛文9年(1669年)~享保19年(1734年)の人物で嵐で東回り航路が閉ざされたことで大豊作だった紀州みかんは売り場を失い上方で価格は大暴落する。ところが江戸ではふいご祭りという祭りでみかんを無料で振舞う風習があり、品薄のみかんが急騰。上方の急落に対し江戸の急騰を知った紀伊国屋文左衛門は大金を借りて紀州中の安くなったみかんを買占め、家に残ったボロイ大型船を直し、大荒れの海に命がけで漕ぎ出すという大博打を打つ。結果江戸に到着。巨万の富を得ることができたという話だ。
これはカッポレにも残っている。


結果紀文は財を成し、元禄年間には江戸八丁堀にお屋敷を築くまでにいたる。
紀文と三井の違いは、紀文は賄賂をどんどん使った点。
そのため事業はどんどん拡大し上野寛永寺根本中堂の造営で紀文の財は不動のものとなる。
しかし十文銭の鋳造事業に失敗し晩年は乞食同然の生活を送っていたという話もあるし逆に潤沢な資金で晩年も大いに華やいだという説もあるなかなかつかみどころが無い人物のようです。

面白いね。

戦国時代は武士達の時代
江戸時代は証人達の時代
そういうことかもしれません。

さてその北前舟の向こう側にそびえるのが...


神田明神の山車です。
なかなかご立派!



神田祭りは今は山車はありませんが昔はこんな感じだったんですね。



神田祭は将軍御観覧祭りとされ山王権現祭りとならんで天下祭りといわれていたそうな。

さてもちろんね。ココは両国。
ということは両国橋描かないわけにはいかんでしょ!?
ということで江戸時代の両国橋西詰めが再現されています。



ちょっとすごくない?江戸時代 全て木材で隅田川河口というだだっ広い川に橋を架けるなんて...江戸時代すごいね...
両国橋の名は武蔵と上総の二つの国にかかる橋という意味の両国橋だそうです。




この隅田川で花火大会が開かれたんですね。
粋だったでしょうね...
石井孝子女史曰く昔の花火はとても暗かったどうですが
それでも元々夜が暗い江戸時代 何よりも美しかったはず
むしろ美しさは昔のほうが輝いていたのではないでしょうか?



しかしこの両国橋の西詰めなんだろ?この四角い建物は...
と思っていたところこの両国橋西詰めは江戸最大の盛り場
見世物小屋 飲食店 楊弓場がひしめいていたそうだけど
実は火除け地だったため建物が全て仮小屋だったそうで
それがこの筵をかけたような四角い建物だそうだ...
面白いね。


そして現れるのが
江戸文化の最高峰
歌舞伎です!

展示されているのは正徳三年(1713年)に二代目市川団十郎が初演した曾我兄弟仇討ちを題材とした「曾我物」。



この女性。女形という男性が演じます。
そもそも歌舞伎と日本舞踊というのは系統がおんなじ。
元亀三年(1573年)生まれの出雲阿国(いづものおくに)という女性が出雲大社の布教のため発案したのがかぶき踊りということだそうです。はじめは女性も舞台に立っていましたが...まぁ女性が絡むと風俗が乱れるのかw
女歌舞伎は禁止に...ということで歌舞伎が男だけで演じられることになったわけです。

しかし江戸時代の歌舞伎座大きいわ...
木造でココまで大きな建物を建てるなんてほんますげーわ...




さて、さすがの博物館
いくら江戸文化の紹介といっても
遊郭については何も触れられてませんでしたw
でも江戸文化の一翼をになう性風俗をはずすというのはいかがなものかと...
まぁ上の歌舞伎であえて花魁の場面を出しているのはあえての紹介かもしれませんが...

さていよいよ江戸時代は終日を迎えます。
いまや江戸時代のすばらしさを語る写真として有名なあの幕末の江戸を写した写真が展示されています。


確かに整然とした町並み。
ヨーロッパですらココまで整備された大都市は珍しいでしょう。
これに日本人が誇りを感じるのは言うまでもないですね。


さて幕末の江戸無血開城の資料を経て
博物館は近代史へ移っていきます。

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銀座に建っていた新聞社の社屋


明治初期の日本銀行の開始



ニコライ堂


明治初期の銀座界隈



そして鹿鳴館外交

そして
浅草十二階 凌雲閣


そしてこの凌雲閣が出てくれば当然語られるのが
関東大震災。

そして関東大震災後の整備事業計画に展示は移ります。


と同時期に自動車の普及に注目がされています。





自動車はフォードA 4ドアセダン 赤い奴は給油スタンドです。

そして話は住宅に...
大正期の庶民住宅



和洋折衷住宅も展示



大正ロマンを感じさせるビールやゴルフのポスターもありました。


そして時代は戦時下に差し掛かります。
戦時中の住宅展示


そして戦後の復興期
復興の象徴自動車産業からダットサントラック





そして可愛い自動車 スバル360



そして僕らも記憶にあるような建物の展示
団地ですね。





そして最後は懐かしいおじいちゃんおばあちゃん家のような
サザエさんの家のような建物




とこれで博物館は終わります。
江戸開幕から400年の東京の歴史を一気に駆け抜けられるわけです。
すごい!充分満足し帰りはエスカレーターで降りました。



うん見ごたえあります!
是非皆様も行ってみたらいかがでしょうか?
結構楽しめます。



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