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2018年11月26日月曜日

【海老名】 相模国分寺跡

中世 というか戦国時代以前、相模の国の首都は海老名だった!

最近、再び活況を示す海老名。
あまり大きくもない規模の街に
三つの路線が乗り入れ、
最近はららぽーとの開業やら
高層マンションの建設やら
が目白押し。
そんな海老名、実は戦国時代以前は相模の国の中心地でもありました。
その証拠に海老名には相模国国分寺跡があります。
今回はそんな海老名の国分寺跡に行ってきました。




↓海老名の国分寺を散策しよう!
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実は以前から気になっていました。
どんな感じなんだろう...

時々国分寺跡公園の前を通り過ぎてはいたんですが
駐車場も無く、なかなか立ち寄れなかったんです。

今回は休みを利用してフラッと訪れてみたのでご紹介です。

場所は海老名駅を東に下りて、小田急が開発したヴィナウォークを通り抜けます。

そして裏側の小道の坂を上っていった先を左に折れて
100mほど行くと右手に広いのっぱらが現れます。
そこが相模国国分寺跡です。


広い空間ですがここにデデンと巨大な寺院が有ったのです。
時代は天平時代。
まだ多くの家は竪穴式住居な感じ。


そんななか最新近代的な建物がデデンとできたらそりゃ皆恐れおののきますよね。

さてその野原の前。向かって左側にちょっと古めの建物が有ります。


ここは以前役場として利用されていた郷土資料を展示する温故館です。



そこに相模国分寺に関する資料が展示されているというので入ってみました。



ここは実は17:00に終了するよていで
係りの方が入り口を閉めている最中でした。
もう終わりかと尋ねると16:45までに入ってくれればいいとのことで
入館しました。

館内は二階展示室もあるようですがそこは農具などの展示なので
一階だけを見て回ることにしました。

つくりは簡単です。

ぐるっとワンホール。
壁沿いにいろいろな展示がされており

真ん中にはデデンと相模国分寺の復元模型が据えられています。



やはり見ごたえはその相模国分寺の模型ですよね。


すごく大きな国分寺で手前に人のサイズの模型がありますが
それを見ればどのくらいの規模かが想像できます。


確かに戦国期以降の城郭などと比べれば小さい規模ですが
とにかく七重塔などは高さ65mあったというので
現在でも15階建てのオフィスビルに相当。


当時としてはどれだけ巨大かは想像に難くないです。


天平文化を色濃く残す朱色の建物はなんともすばらしいものだったのでしょうね。
さて国分寺建立は都が平城京に遷都した西暦710年の後の天平13年(西暦741年)の詔から始まります。



諸外国の動きから国家をより強固なものにしていかなければならないという思いから
仏教を中心とした国づくりが始まったわけですね。


この地から出土した瓦などは模型の側面に展示されています。


伽藍配置はこんな感じだったようです。


いわばココは河岸段丘。良い位置に配置されていますね。


周りの壁面にはそのほかの考古学的資料が色々展示されています。

まずは秋葉山古墳


コチラは1700年前といいますからまさに古墳時代真っ只中。
秋葉原同様、ここには火の神である秋葉様を祀っていた社があったので
秋葉山古墳と名づけられたそうです。



下の模型を見てもなかなか大規模な古墳群だということがわかります。




続いて上浜田古墳


市内最大の前方後円墳があるなど
既に古墳時代に強大な力を有した豪族がいたことが伺えます。


二号墳墓からは刀剣などの副葬品なども見つかっているそうです。






しかし神奈川県下でも海老名は古墳の数が多いですよね。
Kosmoはエスペラント語で「宇宙」 ,  Rondoは「人々の集まり」です」さんのページからすると太古の昔、海老名の地は入り江の奥まった場所に程近く生活しやすい地域だったというのがわかります。
この地に古墳が多いのがなんとなくわかりますよね。
ちょっとごめんなさい。ぼけちゃいましたけど海老名市内の遺跡分布図です。


河岸段丘の上に遺跡が点在しているのがわかりますね。
住民生活の中心が河岸段丘から徐々に河岸に移っていったのは海が大幅に後退した後ということになります。

国分寺建立はこの古墳時代の後に続く時代ということですね。


そして展示は武士の時代になります。

武士の時代になってもこの地は相模の中心地域ということになりますね。

海老名は四つの武士団がいたようです。
国分氏、渋谷氏、上海老名氏、下海老名氏のようです。


渋谷氏といえばこのブログでも取り上げていますよね。
護王姫の悲劇である桜田伝説で出てきたのは渋谷氏の渋谷高間。
まぁ時代は奈良、平安からはぐっと下がって室町時代でしたけれども...
渋谷氏の拠点は海老名南部なんですよね。というよりも高座群南部一帯を押さえていたのは渋谷氏といってもいいかもしれません。なぜなら大和市の南側にも高座渋谷なる小田急の駅名が有りますからね。

海老名一族はこのような家系図になっています。


海老名一族というとこのブログで取り上げているのは有鹿姫伝説ですよね。

鎌倉が出てきたのは武士団台頭その後ということになります。


最後に海老名市の史跡群を地図上でご覧くださいまし。


ということで温故館はここで終了です。
うん無料だし結構楽しめますよね。

さてその前に広がるのっぱら...
いよいよ海老名の国分寺の規模を知りに行きますよ...

どうだ!?

ででーーーーん!


広い!傘を差している女性のサイズからその規模を推し量ることができますよね。凄い!


市では史跡環境整備事業を行っているようですね。


いっそのこと再建しちゃったら結構な観光資源になるかも知れないのに...
でもいくらかかるんだっちゅう話しだよね多分w

さてここが七重塔のあった場所です。


うーん でかいわ...


そしてコチラが中門跡



そしてコチラが金堂跡です。
民家が隣接しており、まだちゃんと整備されていないようです。


そして講堂跡ですがコチラは道路に阻まれなかなか整備に手がつけられないようです。
その講堂跡の後にあるのが僧坊跡。お坊さん達の宿泊所?




ここで奈良時代のお坊さん達が宿泊していたんですね。
当時は定員二十名だったそうです。
大規模施設の割には少ない感じですね。

さて...この国分寺。先ほどから相模の国の首都なんて話しをしきりに出していましたがね...実は怪しいです!

どういうこっちゃ?と思われる方もいるかもしれませんがね。
実は国分寺の周りにあるはずの国府の建物が見つからない...

なんと探ると神奈川県にはここ相模国分寺のほかに国府系の地名が三箇所あるんですわ...

1.小田原に有る国府津
2.大磯にある国府本郷
3.平塚に有る国府跡

因みに伊勢原だったという説もあります。

本来なら国分寺と国府とはセットのはずなんですけどね...とほほ


詳しくはコチラのページをご覧ください。

そういえばこれらの候補地にあるのは神社...

一宮の寒川(寒川町)
二ノ宮の川勾(二宮町)
三宮の比々多(伊勢原市)
四之宮の前鳥(平塚市)

なんだかそれらに重なっていますよね。

寒川と川勾は一ノ宮をめぐって争ったなんて神話があるくらいですから
もしかしたらこの相模という国は昔から豪族が割拠して争いが絶えず
みなを治めるために各所に国の要所を移転したり分散したりしてたのかも知れませんね。
有鹿神社の項でも座間の鈴鹿明神と争ったなんて神話があるくらいですから
太古の昔からこの相模には豪族がひしめき合っていた可能性は高いですね。
坂東武者なんて言葉も有ります。
それは室町時代までつづいて戦国時代を引き起こすまでに至っていたわけです。

そしてそれら神社をまとめた

六所神社(大磯)

ということは大磯に国府があった可能性は有ります。
国司就任毎に六宮全部まわらなあかんなんてめんどくせーもんねw

ということでどうも海老名には国分寺はあったけど国府はなかったというのが正しいかも知れません。なんとなく平塚ないしは大磯の可能性が高いと思われますね。

しかし国府って本来行政の中心やろ?そっちのほうがフォーカスされてもいいんじゃね?
なんで国分寺ばかり...
なんて気持ちわかります。 しかし国府ってのは正直言って...

面白くないんだよ!

あくまでも行政の中心。今だって誰も役所に観光へは行かないやろ?
それと同じ...w


これは伯耆国政庁の復元模型

豪華であったとしてもこのくらい...
もっとしょぼかったという話もあるくらい...

見比べてみてよ...
ででーーーーん!



豪華さと巨大さがちゃうやろ!

そういうこっちゃね...


さてそのおくには何に利用したのかわからないのですが建物跡が有ります。
多分物置だったり何かそういうものに使われていたのではないかということです。


そしてその向こう側には同様に巨大な施設国分尼寺が有りました。
公園として整備されているようですが特筆する遺構整備はされていないようです。
まぁ住宅街のど真ん中なのでなかなか難しいんでしょうね。


さて国分寺は今でも海老名にあります。


そこまではいきませんでしたがその手前の大欅までは行って見ました。


今度はこのあたりを散策してみたいものです。


因みに現在の国分寺には国の重要文化財である銅鐘があるようですね。

そういえば海老名駅の前のビナウォークには大きな七重の塔の模型が建ってますよね。
三分の一のスケールだそうです。



皆さんも散歩がてらこの周辺を散策されてはいかが?


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