復旧した旧吉田茂邸にいってきました!
復旧??
何があったんだ?
そうです
火災です。
2009年3月建物はほぼ全焼。
貴重な文化遺産がなくなりました...
しかし復旧計画が持ち上がり再建。
2017年4月1日公開にいたりました。
そんな旧吉田茂邸を見分に向かいました。
旧吉田茂邸を歴史を感じに行こう!宿泊はこちら↓
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吉田茂ってだれよ?
えっ??知らない人いるの?って感じですが...
まぁそういう人がいてもおかしくは無いよね。
ということでまずは吉田茂から...
吉田茂(1878年-1967年)は簡単に言えば第45代、48代-51代日本国総理大臣だった人です。
在任期間は1946年5月から1947年5月、1948年10月から1954年12月。日本国憲法は吉田茂政権下で発布されており、サンフランシスコ平和条約は彼が推し進めた。
板垣退助の腹心、竹内綱の五男です。吉田姓は長崎のグラバー商会の親会社、世界最大級のコングロマリッド、ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長、吉田健三の養子になったため名乗るようになりました。
とこんな感じの人です。
まぁ現代日本の礎を敗戦の荒廃から立ち上げた立役者ということです。
僕は吉田茂が所得倍増計画の人だと思っていたんですがとんだ間違いだったみたいですw
所得倍増計画は池田勇人(いけだはやと)首相だったんですね...w
そんな偉人。吉田のお宅拝見です!
場所は簡単!西湘バイパスなら大磯西出口を出て国府本郷交差点を右折。
国道一号なら単に京都方面に下り大磯城山公園を過ぎたちょい先を左側です。
駐車場は土日祝日は一時間210円以後三十分ごとに110円です。
通常平日は一時間110円とのことですが
僕が行った日は無料でした。ラッキー
ということで車を降り、門のほうへ...
こちらが正門である兜門
兜門の説明もちゃんとあります。
サンフランシスコ講和条約を記念して建てたということで
講和条約門とも言われたそうです。
檜の皮をはいで造った桧皮葺。
そして門をくぐるとすぐ日本庭園が広がります。
建物の総合の案内板がありました。
近代数奇屋建築で建てられています。
設計は吉田五十八。父親は太田胃散の創始者太田信義の五男。吉田姓は母方の姓。
元歌舞伎座や成田山新勝寺本堂、五島美術館などを手がけている。
戦時中二宮町に疎開。
政界引退後も大磯詣にくる政治家は多かったとのことですが
先ほどの経路紹介の西湘バイパスはその吉田邸行脚のため作られたというのが地元民のもっぱらのうわさだとか...w そういえば大磯西出口も吉田邸すぐ近くですねw
エントランスに続く坂を上がっていきます。
すると入り口はこんな感じ。
入館料は500円
日本庭園は駐車料金だけなんですね。
玄関に入る前に庭を眺めてみます。
うん、新緑の軒先はとても素敵。
癒される。
なんだろう...
なんか大磯じゃないみたい。
穏やかの時間を感じます。
入り口は当然靴を脱ぎます。
備え付けられたスリッパで..
意外と玄関は小さいです。
玄関に入るとこんな感じで受付があります。
こちらで500円支払います。
支払ってチケットの半券とパンフレットをいただきました。
受付のあるエントランスはこんな感じ...
豪華だ...
順路に沿って進みます。
まずはこちら...
楓の間と呼ばれているリビング。
暖炉やらソファーやら落ち着いた空間ですね。
窓から眺められる庭も良い...
再建なのでとにかく綺麗ですw
そして階段を登り二階へ...
するとどうでしょう...
なんと目の前にまさに湯船w
お風呂がなんとも開放的な雰囲気に設えられています。
はじめここは客間だと思っていたのですが吉田の書斎で
限られた身内以外はほとんど入れなかったようです。
もう景色もとても良い!
天気がよいとたまりませんね。
掘りごたつがあります。
そして順路どおり今度は違う階段を降りていくと
藤棚の見える庭を通ります。
そして吉田茂に関する展示物コーナーが現れます。
回廊形式とでも言うのでしょうか?
建物内をぐるっと回れるように部屋などが配置されています。
元々の平面図を見るとそのように描かれているので再建時に
観覧しやすいように造ったというわけではなさそうです。
昔の面影はどうだったのか...でもため息が出るほど簡素で美しい。
本当に別世界です。
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順路上を行くと...
裏山を望める箇所に...
こりゃすばらしいね...
この先にあるのが...
食堂 ローズルームです。
皆で会食やら会議やらをしたのでしょうか?
室内はアールデコ調だそうです。
ここには吉田茂がお気に入りだった酒なども展示されています。
またここからの庭の眺めもたまりません!
サンルームが見えます。
そこにバラなど植えたのでしょうか?
だから食堂の名前をローズルームとしたのでしょうかね?
サンルームの端右側に少しこげた跡あるのわかります?
あれが火事の跡だそうです。
再びエントランスに戻ってきてそこから緩やかな階段を登って別棟に向かいます。
その入り口の空間もまたすばらしい!竹がとても綺麗で心を静めます。
そしてたどり着いたは金の間。
賓客を迎えるための応接間だそうです。
なるほどだからエントランスからすぐ迎えられる位置に階段を設置しているんですね。
しかも階段を上がる理由は...
ばばーーーん!
この少し高台の景色!
ここからは富士が眺められてしかも...
ばばーーーん と海まで眺められる!
こりゃ応接室として使いたいわけだ!
そしてその奥...そこには銀の間があります。
ここは多分来賓用の部屋として作られたのでしょうが
晩年は吉田の寝室兼書斎として使われていたようで
吉田は心筋梗塞で亡くなる二日前「富士をみたい」といい、この部屋で亡くなったそうです。
富士が見える本当に良い部屋です。
女性の職員の方曰くこの土地はとても頑丈な地盤の上に建っており
しかも少し高台に建物を建てているので津波の心配も少ない。
もし大きな津波が来ても裏山にすぐ登れるようになっているので心配もない。
ということでした。
うわさによるとこの建物の火災の原因は放火だとのことでしたが
その職員の方は漏電としていました。
彼女曰く「放火だったらやるせないですよね。ですから職員は皆漏電として理解しています。」と語っていました。確かにネズミも多くいた古い建物。出火原因は漏電の可能性も高いですね。
隣接してお風呂もありました。
なんだかため息の出る素敵な建物。
確かに再建なので歴史的価値はないでしょう。
でも忠実に再現しているので吉田がどのような場所でどのように思案しどのように国の舵取りをしたかを感じ取るには充分の素材だと思います。
放火にせよ漏電にせよ、火事ごときで日本の精神性が奪われることは無いんだということを実感できる建物だと思います。
さてせっかくなので日本庭園のほうも回ってみます。
エントランスからのスロープを降りて
庭園へ...
この庭園は池を中心に散策ができる
池泉回遊式という形式で作られているそうです。
設計は中島健氏。
河野一郎庭園や田中角栄庭園、東京プリンスホテル庭園なども手がけています。
なるほど池がなかなかインパクトあります。
橋を渡り対岸へ...
新緑の時期はいいですね~
気持ちいい!
敷地内に七賢堂なるお社がありました。
七賢堂からみた吉田邸
そしてぐるっと回ると...
吉田茂像が...
サンフランシスコの方角を見ているそうです。
ぐるっと回って竹林に入ります。
一週回ってきました。
ここからのお屋敷がすばらしいですね。
そして園内からでてきました、
帰りに色々パンフもらいました。
出口の係員曰く
今日は平日だったけど午前中は入れなかったとのこと
二十人くらい並んで大混雑していたそうだ。
そしたら別の観覧者が...
いやいや午後三時でも駐車場がいっぱいだった...
とのこと
週末はどうなることやら...w
でも人気があるってことはいいことです。
夏も近いなぁ~
総評:
うん 一回といわず何回ものんびりと行きたい場所。
本当に別世界。世間の喧騒を逃れてのんびりするのがいいと思います。
皆さんもぜひ訪れてください。
旧吉田茂邸を歴史を感じに行こう!宿泊はこちら↓
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