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2018年1月11日木曜日

小田原攻めたろ 家康本陣

さて今回は小田原にある知られざるスポット
家康本陣跡です。




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小田原って今なかなかホットなんですよ
駅前が再開発されて
一時閑古鳥状態だった駅前が復活しつつある。
しかも街の人たちもなかなか元気で
いろんなイベントが開催されている。
ほぼ毎週何らかのイベントあるんじゃね?
ミタイな感じでね。

それもそのはず
元々考えれば小田原は関東の首都みたいな場所だったわけで
小田原の人たちはその気概と気質にあふれている。
当然彼らのうちなるものは関東の心の頂点ではないですかね?

その期限はやはり東国の戦国時代はこの人によって始められたとも言われる
北条早雲。
東国の戦国時代は関西の戦国時代より50年ほど早いといわれています。
そして東国の戦国時代の真っ只中を颯爽と走り抜けた一族が
後北条一族。

戦国時代は北条早雲が始めて北条氏直で終わったといっても過言ではない
と思っているのが小田原人なわけです。
中には戦国時代のことを北条時代という人すらいるとかいないとか
そう思えば確かにそう感じます。
北条家の滅んだ後は一気に戦国の割拠が収束していき中央集権的方向に向かっていきます。

その戦国時代終結の最後のイベント、小田原開城。
その小田原攻めには日本全国から有名どころの武将がはせ参じていました。
いわば当時のオールスター勢ぞろいだったわけです。

池田輝政がいた
長宗我部元親がいた
宇喜多秀家が
黒田官兵衛が
細川忠興が
脇坂安照が
毛利輝元が

小田原を取り囲んだわけです。

その際にこの地に本陣を結んだのが徳川家康です。

場所はここ!


昔の総構えの北東はずれ久野川と相模川の間の地です。

天正十八年(1590年)徳川家康は小田原戦役の際、この地に本陣を張りました。
本田忠勝や酒井忠次、大久保忠世、井伊直政ら徳川四天王を従えた総勢は三万。
豊臣軍の総数は21万だったそうです。
対して北条軍は5万。

四倍の兵力だったわけですが
それでも小田原城が結果落城しなかったのは
やはりその城の規模!
城、城下町、街道を含んだ総構えの総延長は9kmを越える距離。
堀も深く、豊臣秀吉の物量作戦でもなかなか手は出せず
結果徳川家康は110日間、この地に留まらざるを得ない状況でした。


その跡地に立てられているのが
徳川家康陣地跡の碑です。


この碑は天保七年(1836年)に小田原城主大久保忠真で、藩士岡田左太夫光雄に書かせたものだそうです。


さてその碑文の裏側には今井権現神社があります。


徳川家康に陣地を提供した柳川家が1617年に創建した神社だそうです。
権現神社とありますがいわば東照宮です。


ここね駐車場もないし、目の前の道は車一台分しかない。
場所もわかりづらい
なかなか難易度の高い史跡ですが
一度見に来てもいいかもね。

この小田原役の後
総構え城郭は全国に広がっていきます。
戦国末期、江戸初期の城郭の基礎ともいえる小田原城。
一度見に行ってみるのも悪くないですね。


↓家康本陣跡を見に行くならココのホテル!





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