GCS step1

全国のライブカメラを地図上に表記

 全国のライブカメラの位置です。 いろいろご利用ください。 https://www.google.com/maps/d/edit?mid=12xkj87OQ_G_CbWapzBhV-c4lc6CExdPl&usp=sharing

2019年10月19日土曜日

【여보세요 ヨボセヨ(もしもし)한국(韓国)!】景福宮(경복궁:キョンボックン)

李氏朝鮮の朝鮮の中心的宮殿。
今回はその朝鮮の中心の中の中心。
景福宮に行ってみます。




このエントリーをはてなブックマークに追加





景福宮


韓国の中心的宮殿です。
1395年 李成桂により建設された宮殿です。
しかし実際には秀吉の朝鮮出兵の際、
民衆により焼き討ちにあって消失。
その後1865年まで再建されることはなく、
興宣大院君により再建された。
ただし興宣大院君は王ではなく王の父である。
しかし王である高宗はほとんどこの宮殿で政務をとらず
結局1910年に日本の併合によりその機能は失われたわけなので
ほとんど朝鮮の中心的政務は執り行われておらず。
形だけの宮殿といえなくもない。

さて場所であるが...
朝鮮の都も、中国のそれに倣っているわけで
宮殿はソウル市街地の北側に位置している。


最寄り駅は地下鉄景福宮駅


でると景福宮の南に向いて左側に出る。


階段を上がった先にはデデンと広い敷地が広がる。


凄いね~
見所の宮殿周辺は広く感じるが
江戸城の三分の一くらいの広さしかない。
景福宮全体でもざっくり皇居前広場くらいの広さです。
京都御所と比較しても一回り小さい大きさとなります。

しかし広い敷地には樹木などは植えず
広場としているためにとても広大に感じる。
皇居前広場は確かに広いんだけど木が植わっているからね~


丁度近衛兵の交代式が始まるところだった。
交代式を見に行ってみる。

韓国語、日本語、英語、中国語と説明が入る。
とても親切だね。
さすが観光立国を日本同様に目指している韓国だけあります。
しかし多種の言語をあげるところなどは日本より進んでいるかも...


ただ近いだけあってなんとなく中国って感じですよね。
でも本当に当時こんなことしていたのかな?
少し気になるところだよね。馬鹿にするわけではないけどなんとなく韓国って少し盛っている感じもするので本来はこの半分と思ったほうがいいかもしれないね。

交代式はおよそ10分程度で終わりました。
せっかくなので正面玄関を見てみたいということで


宮殿正面にあるゲートをに向かいます。

光化門


光化門詳細は続きを読むをクリック

さてこの景福宮内部を観覧するには当然入場料を取ります。
ということでチケットを購入。

短観チケットもあるのですが今回はソウル均衡五大宮(景福宮、昌徳宮、徳寿宮、昌慶宮、昌慶宮)および宗廟を
めぐれる総合チケットを購入しました。


金額は  10000ウォン

この購入で間違ってしまうことになるのですがそれは後ほど...


さぁでは入りますよ!

向かうは

興禮門

ここが入り口になります。


興禮門詳細は続きを読むをクリック


勤政門

勤政門詳細は続きを読むをクリック


勤政殿

へ...

これが勤政殿前の広場となります。



勤政殿詳細は続きを読むをクリック


さて正殿である勤政殿を堪能した後は後宮へ向かいます。

思政門



を通り、

思政殿


へ...

思政殿詳細は続きを読むをクリック


つづいて

嚮五門


の奥にあるのが

康寧殿


康寧殿詳細は続きを読むをクリック

さて康寧殿を過ぎた裏にあるのが



交泰殿


交泰殿詳細は続きを読むをクリック

交泰殿の左脇にあるのが

含元殿

こちらは仏教を基準とした宗教的儀式が行われた場所のようですね。


含元殿詳細は続きを読むをクリック

慶会楼


慶会楼詳細は続きを読むをクリック


修政殿


です。

修政殿詳細は続きを読むをクリック


景福宮の紅葉

池のほとりを歩いていきます。




慶会楼を描く画家の方が幾人もいました。


時季は秋。



紅葉がとてもすばらしいです。



建物のみならず
紅葉をバックに写真を撮影されている方も何人もいました。


さて足は慶会楼の池を半周廻るようにして


現在再建された宮殿の裏側に入り、
そのまま裏を進むようにして廻るように進んでいきます。

途中色づいた紅葉を見ながら歩いていきますと






勤政殿をはさんで逆サイド側にかかります。

実は勤政殿の裏 奥には香遠亭なる裏庭が広がっているんですが
そこは当時工事中だったので入っておりません。
よってそのまま勤政殿の左岸の建物を見ながら進んでいきます。

慈慶殿



慈慶殿詳細は続きを読むをクリック


さて慈慶殿の前にあるのが


焼厨房


焼厨房詳細は続きを読むをクリック


その建物の前にあるのが



資善堂と丕顕閣




資善堂と丕顕閣詳細は続きを読むをクリック



ということでぐるっと一回りして
勤政門の前の広場まで戻り、その後


元朝鮮総督府のあった広場を抜けて

光化門をとおり
景福宮を跡にしました。


11:07に入って12:10に敷地を出ましたので
およそ一時間ほどの見学でした。

総評:

さて
総合的な感想ですが...

うん さすがに広大ですばらしいですね。
ただ歩いてくるとやはり飽きる。
大きいけどメインは勤政殿と慶会楼

まぁその二つといっていいでしょう。
そのほかの建物というとどれも似たり寄ったりでわざわざ見て廻るほどのものでもな

い感じです。韓国時代劇が好きな方ならまぁいいと思いますが
何せ殆どは復元遺産なので貴重なモノも少ないです。
ただし李氏朝鮮時代の王の栄華を知るには一度訪れるのも悪く有りません。

しかし確かに規模はでかいのですが
一棟一棟独立しているためか建物自体はとても小さく感じます。
日本の宮殿式建物が複雑に増築されて規模が巨大化しているのと比べると
かわいらしい建物が多い感じです。
宮殿といいつつも一棟は庶民の建物とあまり規模が変わりません。
日本は建物内に上げて人を接待するのに対して
韓国の場合は宮殿前の敷地に人をいれて拝謁する仕組みの為に
宮殿を大きくする必要がなかったように感じます。
これは多分封建時代を経ているかどうかの違いではないでしょうか?
封建時代日本は武士団の長としての征夷大将軍は居ましたが
あくまでも階級としては軍隊の長。しかも天皇の任命が必要となっていたので
例え皇帝の地位的な征夷大将軍ですら入れ替えが利く領主長でしかない。
各武士の領主はだれもがその武士団長になる資格があるのでいわば
平等な立場だったということになります。そう考えると平等な立場の相手を
野ざらしにすることはできないということで室内謁見というのが
日本のスタンダードとなっていたと考えられます。

そういうのを感じるのにはいいですね。


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿