前回昌徳宮をご紹介しました。
実は昌徳宮はコレだけで終わりません。
その昌徳宮の裏側に広大な自然庭園が広がっているのです。
その広大な自然庭園こそ
昌徳宮が世界遺産となった理由が隠されています。
自然美をふんだんに取り入れた
その昌徳宮の後苑である秘苑こそ
昌徳宮の最大の見せ場。
昌徳宮こそがソウル一の観光地とするならば
その秘苑はむしろ一番の見せ場ということになります。
特に秋!
私の知る限りここまで凄い紅葉は日本の公園各所では見ることができない程の
大規模な紅葉庭園です。
ココを見逃すなんてのは話しにならないでしょう。
今回はそんな最大の見せ場である
秘苑
をご紹介します。
秘苑(후원)
とにかく凄いです。
何が凄いってその紅葉です。
日本は四季の有る国!
紅葉の京都はすばらしい!
確かにそうです。
しかしだ そんなのは日本の驕りではないのか?
と思うほどに凄いのがこの秘苑の紅葉です。
もう本当にココの紅葉を見ないのはもったいないです。
私が訪れた日はあいにくの雨。
しかしそんな雨すら気にならなくなるくらいに
その紅葉がすばらしく感じました。
秘苑
場所は昌徳宮の真裏。
そういわば後宮のエリアに相当するのが秘苑です。
要は裏庭ですね。
しかしその大規模なこと...
まさに王の庭ですな。
さて我らはまず昌徳宮に入るのですが
前回お話ししたとおり
既に総合チケットを利用していた私たちは
改めてチケット購入しなくてはならず。
仕方なしに買いました。
まぁそれでも入場料は3000ウォン
まぁ300円くらいと考えるとこの世界遺産を見るには安いほどです。
一応、仁政殿を見て周りますw
そして誠正閣の横にある
秘苑への入場ゲートに時間を合わせて集まります。
日本語ツアーですがこの秘苑は基本ツアーでないと入れない形式になっています。
世界遺産という資源を守るためということですが
すばらしい制度だと思います。
日本は金になると思えば何でもかんでも入場させてしまい
コストが掛かるとなると何でもかんでも壊してしまうという
どうしようもない無意味なことをしてしまう傾向にあるのですが
ここ韓国では少ない資源を守るために最善の策を尽くしているというふうに感じました。
日本も無尽蔵に人を入れるのをやめて
富士山もそうですがガイドつきで少人数でないと入場できないような仕組みにしていくべきだと感じます。
さて話しは逸れましたが
ガイドが必要な昌徳宮秘苑への入場の予約は必要有りませんが
日本語ガイドが始まる時間帯に秘苑入り口に集まらないといけません。
時間確認はして於いてください。
時季によって自由観覧も可能のときがあるようですが
日本語ツアー ぜったい面白いのでそれに参加されることをお勧めします。
日本語ツアーは13:30です。
ということでツアー集合場所である秘苑入り口に集合します。
ガイドパンフレット
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昌徳宮入り口にも有りますが
ここ秘苑前でももらえます。
昌徳宮全体のガイドブックです。
持っていくととても便利ですので是非貰いましょう。
いよいよ入ります。
秘苑
入る前にガイドのキムさんのご挨拶。
このキムさんなんというかもう見てて本当にかわいらしいというか
年齢はいってるんですがとても楽しそうに日本語を使うんですね。
聞いててこちらも楽しくなっちゃう。
あいにくの雨を吹き飛ばす要素の一つでした。
皆さんもキムさんに当たるといいですね。
第7代国王世祖の時代1960年にこの秘苑を含めた全昌徳宮が完成しています。
さてとにかくココの紅葉は凄い。
雨にぬれつつもその紅葉のすばらしさにうっとりしてしまうんですわ...
そして道に落ちた落ち葉。コレがまたすばらしい。
日本だとねみんなささっと掃いて捨ててしまう。
ところがココ韓国は誰も掃除しないのか?w
やたら落ち葉が落ちているんですが
それが逆にいい!
上にも下にも紅葉なんですよ。
日本の潔癖主義?あれってどうなんだろうね?
なんだか綺麗好きすぎて情緒がうしなわれていないか?とも感じます。
さて紅葉の中ガイドのキムさんの後をついていくと
第一のスポットが見えてきます。
芙蓉池と宙合樓
芙蓉池と宙合樓の詳細はこちら↓
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ここの芙蓉池周辺は
主に四つの建物で構成されています。
書香閣
宙合楼
暎花堂
芙蓉亭
です。
芙蓉池の四角の形は韓国の世界観を現しているようで
空は丸く地は四角という陰陽五行説に基づいて設計されています。
真ん中に島があるのですがあれが○ですね。
韓国の国旗はまさにそれですよね。
池には蓮が植えれれており、訪れたときは時期では中ってので有りませんでしたが...
芙蓉とは
蓮の花のことだそうで
それを模した建物が芙蓉亭です。
芙蓉亭
王様はこの池に船などを浮かべて楽しんだり
この芙蓉亭から釣りなどをして楽しんだりしていました。
王様が一匹フナを吊り上げるたびに楽団が盛大な音楽を奏でたそうです。
すげーなw
その池を取り囲むように芙蓉亭以外の三つの建物が配置されています。
宙合楼
目立つのは二階建ての建物ですね。
あれは宙合楼。
学問の研究機関であり、一階は宮中図書館の役割をしていたようです。
脇にあるのは
書香閣
ちょっと見えにくいですけどね。
コチラも図書館として使われていたようです。
そして
芙蓉池脇にある東屋のような建物
コチラは
暎花堂
ではちょっとキムさんのガイドを聞いてみましょう。
なるほどココで科挙などが行われていたとか...
面白いね青空教室みたい。
しかもその科挙の試験の前の暎花堂で王様が見ていたってんだから笑えるw
でもこの自然の中試験が行われていたなんて
結構気持ちは落ち着いた中受験できたんじゃないかな?
ということでちょっとおトイレ休憩いただきました。
この一帯 ドラマ「チャングムの誓い」でも有名なようですね。
トイレ休憩後
一向はガイドの後に続いてこの自然豊かな公園を歩いて行きます。
進んだ先にあったのは第二のエリア
愛蓮池と倚斗閣
愛蓮池と倚斗閣の詳細はコチラ↓
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ここは李氏朝鮮第十九代国王
粛宗(スクチョン、しゅくそう 1661-1720)と
第二十三代国王
純祖(スンジョ、じゅんそ、순조、1790-1834)の
息子
孝明世子(ヒョミョンセジャ、こうめいせいし、효명세자 1809-1830)にゆかりの深い場所ということです。
有名なのはこの門
不老門
まずはキムさんのガイドを聞いてみましょう。
ということで一つの岩を切り抜いて国王の長寿を願ったということです。
なるほどなるほど
通り抜けると長生きできるとか...
まぁ長生きしたいわけじゃないけど一応通ってみましたw
ココにはもう一つ門が有りまして
金馬門
といいます。コチラからは倚斗閤に入れますが
今回は割愛されています。
補足して置くとこの金馬門は中国漢代の影響を受けていて
皇太子が居るということを示しているとか...
なるほどね。
そしてココ
愛蓮池
ここもガイドさんの話を聞いてみましょう。
と簡単に説明されていました。
もう少し掘り下げるとここは粛宗が造園した池だそうで
愛蓮は蓮の華は汚い水でも美しく咲くことを愛した粛宗がつけた名だそうです。
なるほどね。
その愛蓮池に面しているのが
倚斗閤
しかしガイドさんはコチラを割愛しています。
ので少し説明をいたしますと
コチラは孝明世子が造営した書斎兼瞑想ルームとでもいうべき場所でしょうか?
皇太子であった孝明世子は18歳から王に代わって政治を執り行っていましたが22歳で亡くなった聡明な王子です。
当時力を振るっていた安東金氏を牽制するなど辣腕を振るった。
さて我らはその庭を通り抜けて次の施設に向かいます。
もうとにかく紅葉がきれい過ぎる
演慶堂
演慶堂の詳細はコチラ↓
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ココは先にも記載した皇太子、孝明世子が父親である国王純祖の為に立てた離宮のような場所だそうです。
純祖は幼少の頃私家に住んでおりその私家が韓国貴族階級の一つ士大夫(したいふ)形式の家だったためその形式の家をこよなく愛しており孝明世子が純祖の心の安寧の為に作らせたようです。
長楽門
入り口の門は他の壁よりも少し高めに作られた
長楽門。縁起がいい名前ですね。
長楽は長らく楽しむという意味です。なんとなく
高麗門に似てなくもないですね。
日本人としては高麗門というくらいですから半島から渡ってきた門の形式のように感じますがココ韓国ではそれらしい門は見当たらない。
この質素な長楽門も高麗門のように裏手に控柱と開き扉を雨から守る屋根が有りません。
高麗門はそもそも豊臣秀吉による朝鮮出兵時から使われ始めた門なのでそういう意味で高麗と名づけた可能性はあるかも知れませんね。
長楽門を通り抜けて中に入ります。
行廊棟
この長楽門に接しているのは塀を兼ねた行廊棟(ヘンランチェ)といい
ここは使用人の部屋でした。
すると中にももう二つ門が有ります。
奥に入ると...
中門間行廊棟
コチラも周囲を壁のように棟が続いておるのですがコチラは中門間行廊棟(チュンムンガンヘンナンチェ)といいコチラも使用人の部屋となります。
母屋
真ん中にデデンと母屋が有ります。
母屋(内棟、アンチェ)は女性用の建物
舎廊棟
奥に見えるは舎廊棟(サランチェ)男性用の建物
舎廊棟は主人である男性が生活の基本とする他
客人を迎える建物としても利用されます。
基本母屋と舎廊棟は別棟で作るそうですが
ここ演慶堂は中で繋がっており行き来ができるようになっています。
別棟で作る理由は儒教の中の朱子学からきているようです。
朱子学について少し加えます。
朱子学は南宋(1127-1279)で朱熹(しゅき、1130-1200)が纏めた儒教の体系。
理気二元論を説いており理と気は互いに別物だが一対で不離不雑の関係であると説く。その中において理は普遍的にある世界の真理(形而上または基礎科学)であり、気とは実態があるもの(形而下または応用科学)を指す。また理は不動なのに対し気は運動し、世の中は気の動きによって構成される。気の運動の大きなときは陽とし運動量の少ないときを陰とする。陰陽二つの動きが凝縮し木火土金水の「五行」となり、「五行」のさまざまな組み合わせによって万物が生み出されるという。
その中で性即理とあり、性とは心が静かな状態、それが動くと情→欲となる。朱子学は孟子(もうし、紀元前372?-紀元前289)の性善説を含んでおり、
理である性が動き欲となることで悪事を行うとされており、たえず「情」を統御し「性」に戻す努力が必要があると説き、修行を行い窮理(究極的な理に近づく)を目指すことを善しとされる。
もしかしたら日本人の感情を動かされることを極端に嫌う風潮もこの朱子学の影響があるのかも知れませんよね。
尚朱子学は朱熹存命中は慶元党禁(けいげんとうきん)により弾圧される立場にあったが南宋の五代皇帝理宗(りそう、1224-1264)
の時には孔子廟に朱熹を祀るなどし、続く元になり科挙試験に採用され国家教学とされたため、朱子学以外を学ぶものを愚か者扱いするなど朱子学一辺倒に変わっていく。
そのため高級官僚士大夫達のあるべき学問となっていく。
それが朝鮮に伝わっていくことになる。
性即理の観点から朝鮮の士大夫達はいわば心を動かさないことを善しとするようになり働かないこと、動かないことを善しとするようになっていく。当然女性が居ると欲が出てくることになるので女性を分けるという意味から建物の構造も別棟にするというのがあったのかも知れない。
両班の心得なるものがあるのだが...
【両班の心得】
両班はつねに午前四時には起きる。
書面台に向かって正座する。
かかとを合わせて尻をささえる。
膝は絶対くずさない。
目はいつも鼻の端を見つめる。
咳はちいさく、唾は飲み込む。
手洗いでは手のひらをこすらず、召使いを呼ぶときは声を長くひきのばし、歩くときはゆっくり足を運ぶ。
手に銭を持つことなく、米の値段をきかず、飢えても我慢し、寒さに耐え、暑くても足袋をぬがず、食事のときは冠をかぶり、汁は音をたてて吸ってはならない。
箸を使うのは上品に、酒を呑むときは髭をぬらさず、タバコは頬をくぼますように吸ってはならない。
怒って妻をぶったり、召使いを叱ってはならない。
いつも書を読み、古文を写すときは、小さい字で一行に100文字を書かなくてはならない。
とある...なんか凄いねw でもこの一つ一つを見ると究極的に朱子学をおしすすめるとこうなるようにも感じますね。
さてツアー一向はその母屋側から裏側に向かいます。
オンドル
母屋側にあるオンドルの説明をしていただきました。
なるほどオンドルは建物全体を暖めていたわけではなく一棟に一部屋位だったわけですね。
床は石敷き。そこに布団を引いて寝ていたということですね。
しかし夜中中暖めていたということでしょうか?使用人の人たちは大変ですね。
もしかしたらそのために朝鮮では奴婢の制度が最近まで残っていたのかも知れません。
しかしオンドルというのは朝鮮人たちの誇りなのか結構詳しく教えてくれます。
確かにオンドル施設のない日本にとって既に1000年以上も前から床暖房の仕組みを取り入れていた朝鮮半島には驚きますよね。
一向は母屋の裏側をとおり、舎廊棟に接する別棟側に行きます。
濃繍亭(祠堂)
濃繍亭(祠堂)がみえますね。
朝鮮時代の身分制度としては基本三種類有ります
賎民(奴婢 白丁 僧侶 妓生) 庶民(農工商人) 中人(技術者、能力者、下級役人) 両班(上級官僚)です。
そしてそれぞれ建てて良い建物に決まりが有りました。
庶民は男女別棟ではなく一棟。
中人は敷地 を行廊棟(ヘンランチェ、下人の住まい)や塀で囲み、舎廊棟(サランチェ、主人の生活空間)・ 内棟(アンチェ、母屋)を独立させ、それらの空間は塀によって分離される。
上流住宅は、敷地を行廊棟や塀で囲み、舎廊棟・内棟・別堂・亭子・祠堂などを建て、舎 廊棟・内棟・別堂・祠堂などの建物とそれらの庭園は中門間行廊棟や塀などによって区分 される。
上流階級 いわば学問を学んだ階級になればなるほど朱子学に沿った建物の形式になっていくのがわかりますね。
善香齋
その
濃繍亭の手前、舎廊棟の横に別棟として建っているのが善香齋(ソニャンジェ)書斎です。
なんとなく書斎ってやたら有りますね。朝鮮文化においてこの書斎なるものがとても重要だったことが垣間見られますがあくまでも一部の王貴族に限ったものと思われます。
この建物は西向きに建っているため西日よけの装置を別につける仕組みをとっているようです。色々工夫していますね。
でも日本の寺院だとか寝殿造りの建物などにもこのような感じの有りますよね。
こちら側から母屋に隣接する舎廊棟がよく見えます。
ということでコレで演慶堂は終了です。
正直言うと韓国の貴族、両班や士大夫達の建物ってコレが貴族の家?というくらいに小さい。
平安時代の日本貴族の寝殿
日本の庶民のほうが余程良い家に住んでいる気がします。
何せ離宮とはいえ王様の別荘ですらこの規模なわけです。それでも彼らが日本人を馬鹿にする理由はまさに実利よりも精神的な高みを目指す。といういみで日本人は学がないと判断されていたんだと感じます。日本に来た朝鮮通信士達は当時の日本の発展振りに驚いているもののその実利を取り入れようとしなかったのは朱子学(儒教)が色濃く根付いていたからだとも感じます。
韓国人はよく韓国は昔から礼節を重んじる国として知られるという自負があるようですがそれはあくまでも儒教においての礼節ということになります。儒教においての礼節は日本においてもつい最近まであった年功序列というのがあらわしているように目上の人を大切にするという思想が含まれて居ます。能力があろうがなかろうが年上を大切にするという行為こそが礼節とされる訳です。韓国からすると日本はその礼節を守らない無礼な連中とされるのはそのヒエラルキーは中国>韓国>日本という位置づけがあるからに他ならないでしょうね。
彼らからすると自分達を追い越す弟分の日本は常に気に食わない存在と写るわけです。
逆に言うと日本人からも奴らは実利を取らず学ぼうとしないという風にとれますよね。
コレはお互いが平行線になるのは当然かも知れません。歩み寄りは必要ないと思いますが
相手を知ることでコチラが対応する方法はいくらでもあると思います。
日本は平安末期から貴族文化が急速に廃れていき武家文化に変わっていきました。
そして江戸期にはその武家文化すら衰退し庶民文化への移行が計られていっています。
そうなると当然実利を重んじる文化に変化していっており既に第四世代に達しているといっても過言ではありません。対して朝鮮半島は第二世代で留まっていたのが急に第四世代に移行したという経緯があり、未だに第二世代である貴族流精神がそのママ残っているという状況だったともいえますね。
しかし人間というのは文化革命が起きるとその文化においてまたヒエラルキーをつくり始める。日本も第四世代だったのが再び第二世代へと移行する可能性も無きにしもあらずですね。
この建物は今の日本と韓国を色々納得させられる情報がいっぱいです。
いかれた際には是非じっくり観察してみてください。
尊徳亭一帯
尊徳亭一帯の詳細はコチラ↓
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燃えるような紅葉の中進んでいった先に現れるのが
二つの池を備えた庭園が見えてきます。
この庭園はここ昌徳宮秘苑においては比較的新しいほうに造園されたようで
どちらかというと王様個人的に楽しんだ庭園という位置づけです。
だから演慶堂のほぼ真裏に位置しているのでしょうね。
砭愚榭(ピョムサ)
ここは幼少の皇太子が勉学に励む場所でした。
ハの字型の珍しい屋根が特徴です。
キムさんのガイドによると...
この砭愚榭の前にある石畳を歩くと両班や王などの位の高い人の歩き方を真似ることができるといことで幼少の皇太子は練習させられたとのことでした。
観覧亭(クァンナンチョン)
ガイドのキムさんの説明を聞いてみましょうね。
相変わらずなんとも楽しそうですねw
さてキムさんの説明どおりなんとも趣がある東屋ですよね。
この池に船を浮かべて楽しんだそうですがなかなかみやびですね。
観纜池
その池である観纜池ですが別名朝鮮池とも呼ばれています。
その理由はキムさんが話し手くれます。
そう朝鮮の形をしているんですね。
この池に船を浮かべて楽しむなんてのは本当に雅ですね。
尊徳亭(ソンドッチョン)
この界隈で一番古い建物がこの尊徳亭です。
キムさんのガイドでは...
ということです。
仁祖22年(1644年)に建てられたもので正祖が書いた文を刻んだ扁額がかかっております。
天井に掲げられている双竜は王の威厳を現しています。
中に入ることも当然でき、
そこから眺める秋の紅葉はまさに王が見るべきものとしてありますね。
ここは本当に紅葉時季に来るとはっとさせられます。
燃えるような紅葉のいったいを一行は歩いて行きます。
すると見えてくるのはコチラも東屋の一つ
聚奎亭(チィギュジョン)
聚奎亭は元々学者達が集まる場所という意味で建てられたそうで1640年に初めて立てられています。
しかしココは素通りでした。
そして次に訪れたのが...
玉流川一帯
玉流川一帯の詳細はコチラ↓
折りたたむ
キムさんのガイドをうかがうと...
ということです。
玉のように清らかな水が流れる場所。
確かに岩に刻まれていますね。
岩の玉流川という文字は、十六代国王 仁祖(インジョ、じんそ、1595-1649)の親筆。
詩は粛宗(スクジョン)の作品。
キムさんのガイドを聞いてみましょ。
盃を目の前の小川に流し、目の前に来るまでに詩を詠むなどの宴も開かれたようです。
さてココはいくつかの東屋と水田及び小川で構成されています。
逍遥亭(ソヨジョン)
東屋ですね。
川の流れを見るにはとてもよさげなところです。
清漪亭(チョンウィジョン)
玉流川の内側に位置し、藁葺屋根を施した東屋です。
周囲は水田となっており国王がここで農業をしたとのこと
ガイドのキムさん曰く農家の人の気持ちを知るためだとのことです。
太極亭(テググジョン)
ちょっと高台に位置しているのでこの水田庭園を眺めるにはいい位置です。
籠山亭(ノンサンジョン)
まずはキムさんのガイドから...
なるほどね。確かにオンドル部屋と板張りの部屋二部屋有ります。
王がこの地を訪れた際に茶菓を楽しんだり、学識者と意見を交換する場所として使われたようです。正祖は奎章閣の臣下を招待して詩を詠んだり孝明世子もここに学識者を招いたりしていました。
オンドル煙突は地面すれすれにありましたw
翠寒亭(チィハンジョン)
キムさんはココで建物の色彩について講義をしています。
なるほどこのようにハデに色をぬるのには理由があったのですね。
そして僕らは燃える紅葉の中を再び歩き始めます。
一旦演慶堂の裏に出ます。
そして階段を上ります。
そして上り切った先でガイドさんのキムさんがまとめをしてくれました。
その後一行は下っていきます。
そして最後に昌徳宮の裏手
官僚街に出てきます。
最後の見せ場はこの官僚街にある
天然記念物 イブキの木
樹齢750年といわれているイブキの木です。
コチラは韓国の天然記念物となっています。
香木としても知られており大切にされているとのことでした。
そして
15:02
一時間半にかけたツアーが終了しました。
キムさんありがとう!
感想: うん 良かった!
とにかくキムさんが楽しそうにはなしているのを見るたびに顔がほころんでしまいました。結構良かったわ~
このツアー形式の入場制限とてもいいです。日本でもやるべきじゃないかな?
ということで昌徳宮を後にしました。
総評:いやー 最高でした!とにかく紅葉が凄い!日本でもココまですばらしい紅葉を眺められるところはなかなかない。まぁ街全体が紅葉に咽ぶ感じがするのですがここ昌徳宮秘苑はもうこれでもかってくらい紅葉が凄かった!
写真見てもわかるでしょ? ココを見ないなんてもったいなさすぎる!
是非紅葉の時季にソウル訪れて欲しいなぁ~
国としては色々あるけどさ。まぁそこらへんは偉い方達にやってもらいましょうよ。
上の写真は昌徳宮前にある建物に掲げられたポスター
なんか良かったので撮影しました。
昔はココにガソリンスタンドがあったそうですが
景観を損ねるということで撤去されてココにこの建物ができたとか言うことです。
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