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2019年12月30日月曜日

【富士山をめぐる旅 第四回 世界文化遺産】富士山の世界遺産の中で多分一番マイナーな遺跡。人穴富士講遺跡

多分ね富士山に関連する世界文化遺産で一番マイナーであろう遺産がここ!
マイナーであるということは逆に言えば希少価値が高いともいえますね。

いってみると結構すばらしかった!

ということで今回は

人穴富士講遺跡





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人穴富士講遺跡

場所は...といってもなかなかどのように表現すればいいものか...
でも簡単に言えば富士宮から北上、本栖湖に向かう道を進んでいきます。
正確には県道75号線、清水富士宮線を北上してください。
走っていくと看板がありますのですぐ判ります。


年中無休 入場無料 案内所は土日祝日の10時から15時まで



駐車場

駐車場は結構広くしかも見学者もまばらなので
余裕で停められるはずです。
当然無料です。


とにかく駐車場から伸びる入り口においてすら
なんとも不思議な空間を感じます。
なんだろこれ?


世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」

ここも富士山の世界文化遺産の一つと数えられています。


なぜここが富士講の聖地となったかというと
角行(かくぎょう、天文10年1月15日(1541年2月10日) - 正保3年6月3日(1646年7月15日))という修験者が永禄3年(1560年)ここの人穴で千日修行を達成後この窟で入寂したことから富士講の開祖となり、この地が聖地となったというわけだそうだ。


人穴浅間神社


真っ直ぐ進んだ参道を抜けると
そこには両脇に墓石ようなものの数々
この墓石のようなものは碑塔というそうですが角行をはじめ富士講の修験者たちが入寂した際の墓石もかねているようです。
ただし基本的には碑塔とは碑文を書いた塔だそうです。

その奥にあるのが人穴浅間神社。
通常は浅間神社とあるようだけど
墓石のようなものの奥に神社の社殿が建っているのが
また摩訶不思議な異様な空間を感じさせる。

そのせいかこの地を心霊スポットとする向きもある。
駐車場の入り口に石の鳥居があるのだがそこを車でくぐると事故にあう
等とまことしやかな話しもあるらしい...
自分は まんまとその鳥居をくぐってしまったw
しかし何も起きていないw



でもこの異様な雰囲気に呑まれてここを心霊スポットとしたい気持ちは良くわかる。

この奥に有る神社はコノハナサクヤヒメと角行、そして徳川家康を祭っている。
なぜ徳川家康かというと甲斐武田の残党から逃れる際に角行がここの人穴で家康をかくまったという話から家康も祭神となったという話だが腑に落ちない。武田の残党から逃げるというくだりは徳川家康にはない。逃げたのは武田信玄が三河に攻めてきたときくらい...だからこの話しは眉唾で単に駿河が家康の領地になったのでゆかりの家康を後代に祭ったと考えるのが妥当かと思われる。


碑塔群

墓を兼ねた碑塔群がその神社社殿のサイドにある。


碑塔群には現在立ち入りはできなくなっている。
しかしこの碑塔群がまたここの不思議さを寄り際立たせている。
ここをみると一見心霊スポットと感じてもおかしくはない。


この碑塔群
233基の碑塔があり建立年代のわかる碑塔は89あります。
一番古い碑塔は洞穴内にある碑塔で寛文四年(1664年)のものである。




人穴洞穴

この洞穴自体は富士山のいわば溶岩が固まった跡の隙間にできたもの
しかし人は穴というと何か神秘なものを感じるらしく...w
ここの人穴洞穴も江ノ島に繋がっているだとかの伝説もあるそうです。
崩落の恐れがあり、現在は入窟はできないようです。

人穴の由来は太古の昔ここで人が生活していたからだとか人穴内に人間の肋骨や乳房ににた形の岩があるかだという説などありますが未だ明確ではありません。
全長は83mあるといわれています。


この人穴富士講遺跡の歴史は実はそれほど古くはないです。
この人穴が史文に出てきたのは治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの記録を綴った鎌倉幕府編纂の歴史書「吾妻鏡」に登場しているのがはじめだそうです。
建仁3年(1203年)、鎌倉幕府二代将軍源頼家が富士で巻狩りを行った際、随伴した仁田忠常(にったただつね=新田忠常)に人穴洞穴の調査を命じています。


まるで川口浩の探検隊のようだ!w
仁田忠常はなかなかのツワモノで、平氏追討や奥州合戦でも活躍、建久4年(1193年)、曾我兄弟の仇討ちの際も兄の曾我祐成を討ち取ったのがこの忠常でした。


忠常は六人でこの洞穴に入り、一日一晩かけて洞穴内を往還したそうですが洞穴内には大河が流れており、その先に眩しい光が差していたがそこを見たとたんたちまちのうちに四名が亡くなったとのことでした。
なんと川口浩の探検隊なんて目じゃないほどの凄い展開。
松明のせいで一酸化炭素中毒になったのではないかとの説もあるようですが真実は不明。
「ここは浅間大神の御座所だ」と「吾妻鏡」では〆られており、この文章により富士講の意義を寄り強めるようになったといわれています。
もしかしてウランとかがあったとかそういうことかもしれませんよね。
だとしたらとても面白いというかなんというか...
「御伽草子」にある「富士の人穴草子」はその話しを拡張したもの...


総評
ここはとにかく逸話を知ってから行くととても面白いですね。
でも何も知らなくても異様な雰囲気に呑まれること間違いなし。
さすが富士講の聖地です。スピリチュアルなものが好きな人は是非起こしください。

13時到着
13時15分出発




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