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2019年12月17日火曜日

【南足柄 寺社仏閣】開創600年、大伽藍を備えた西相模の大寺院 曹洞宗 大雄山最乗寺

神奈川県西部において...
否、神奈川県全体にしても...
コレだけの大伽藍を備えた寺院はほかにないのではないだろうか?
ここ大雄山最乗寺以外では多分川崎大師か曹洞宗本山総持寺、鎌倉の円覚寺くらい。
神奈川県では川崎大師や総持寺、円覚寺に次ぐクラスの大寺院。

それが大雄山最乗寺。

今回は西相模の大寺院。大雄山最乗寺です。







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曹洞宗 大雄山最乗寺

伊豆箱根鉄道大雄山線のまさに終着駅。大雄山駅、そこから道了尊行きバス(270円)でおよそ15分。
鬱蒼と茂った杉の巨木の間をすり抜けた先にこの大寺院は忽然と現れます。


西相模最大級の大寺院だけあって
駐車場もやたらと広いです。
ただし年末年始は相応に混みます。
年始は初詣渋滞が起きます。
場合によっては1時間近く待つ場合もあるので注意です。

駐車場に車を停めて
森の中を歩いていくと...


長くなだらかな階段が見えてきます。
振り向くとその向こう側に仁王門が見えています。


さて階段を上がっていくと見えてくるのが...


瑠璃門


最乗寺の表門のようなものですね。


千社札(せんじゃふだ)が貼られてますね。


千社札は江戸時代からの風習。御朱印をいただいた後に許可を得た上で貼るもの。その上で功徳があるということですが当然許可を得なければダメです。多分その昔は柱などにテ彫りで名前などを刻んでいたんだと思います。それだと文化財を痛めてしまうのでそれがシールのような貼りモノに替わっていったのではないでしょうか?色の塗り直しをしない寺社仏閣。もしかしたら千社札が柱などを保護しているのかもしれませんね。ただし今ではこの千社札でさえ文化財を傷つけるということで徐々にコチラも行わないようになってきています。必ず許可得てくださいね。

書院


境内にはいってまず目に付くのは書院です。
本堂が奥にあるのですがその本堂と並ぶおおきさ。
凄いね。書院ということは書斎兼図書室。コレだけでかいということは
この寺が如何に人気の高い寺院だったかがうかがい知れますね。

この書院の前には伽藍の案内図があります。


どうです
大伽藍でしょ?
すごいよね。


最乗寺本堂

書院の前を左手に折れ
その先にあるのが
伽藍の中核である本堂。


本尊を安置しているのが本堂で寺院の中心となります。
金堂といわれたりもします。


この本堂
とにかく天蓋が凄いんですわ...


天蓋は宇宙を現すといいますが
真下から見ると
まさに宇宙の図。
目も眩むばかりの金ぴかです。


天蓋は元々は日傘。仏教に帰依した帝釈天が釈迦に天蓋(日傘)をかけて付き従ったという話しがあります。どこの寺院にも立派な天蓋がありますがその元は日傘ということですね。

本尊は釈迦牟尼仏。お釈迦様自体をご本尊としてらっしゃるのね。
脇侍仏は文殊、普賢の両菩薩です。


さてこの大雄山最乗寺は曹洞宗。
曹洞宗とは何ぞやってことですが
中国の禅宗五家、日本の禅宗の一派。
そもそも禅宗は中国南北朝時代、南インドから宋にわたった達磨(菩提達磨:ボーディダルマ)を祖とする。


その後六代目、南宗禅の祖、慧能(638 - 713年)で分派した後の更に四代目、洞山良价(807 - 869年)によって創宗された。


日本には鎌倉時代、中国で印可を得て1226年に帰国した道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月19日)- 建長5年8月28日(1253年9月22日))が曹洞宗を始めている。


座禅修行を中心としつつ、「永平清規」を厳しく守り、見性(人間の本性)の探求やら悟りを得る行為自体ではなくただひたすらに坐禅を勤めることのみに集中する方針。そのためここ大雄山最乗寺も修行寺としての要素を多分に持っている。



その後中国では明の代に禅宗が廃れたので現在世界的に禅宗は日本系統のものが多く知られている。



開山堂

本堂に隣接するようにあるのが開山堂。
開山堂なので当然開山の像を祀ったところ
寺院建立を果たした僧を祀っている。


ここ大雄山を開山したのは相模国大住郡糟谷(現伊勢原市)に生を受けた了庵慧明。
元々は地頭であったが戦国乱世にむなしさを感じ、出家。
総持寺二代目峨山韶碩禅師の門弟の中で特に優れていた峨山五哲の一人、通幻寂霊(つうげん じゃくれい、元亨2年(1322年) ‐ 明徳2年/原虫8年5月5日(1391年6月7日))を師事する。
その後通幻禅師の後席すべてをうけて住持し、五十代になって小田原曽我に竺圡庵を結ぶ。すると一羽の鷺が師の袈裟を加えて飛び立ってしまう。それを追いかけてたどり着いた場所がここ足柄の山中だったということでここに應永元年(1394年)3月10日寺院を建立することになる。

1394年というと室町時代。一休禅師が誕生した年で足利義満が征夷大将軍になった年ですね。
應永というとこのブログではあの宮ヶ瀬の伝説、矢口長者伝説の頃と合致します。

了庵慧明の旧姓は藤原姓だといいますが地頭職でもあったと考えるともしかしたら糟屋氏だったのかもしれませんね。糟谷の地は当時扇ガ谷上杉家の糟屋館があったところ...
もしかしたら了庵慧明は扇ガ谷上杉に追い出された可能性もありますね。


金剛水堂


開山堂の目の前にあるのがこの金剛水堂。
どうも井戸を掘った場所ということのようですがそこから御金印がでてきたとか...
実物を見てみたいものです。


鐘楼


鐘つき堂ですね。


多宝塔

ここはなかなかの見所!
大きな杉の木に隠れるように建つ多宝塔はなかなか荘厳としています。


そもそも多宝塔は真言系の宗派に多いもの
曹洞宗ではめずらしいのかな?

多宝塔は釈迦が霊鷲山で法華経を説法していると多宝如来の塔が湧出し、


中にいた多宝如来が釈迦を讃嘆し半座を空け、二如来が並座したことを起源としている。


しかし説法を説いていると七つの塔が湧出してくるなんてなんて壮大で凄い情景なんでしょうね。まるでアニメみたい...w


洗心の滝


夏場に来ると涼しいそうです。

結界門

そしてまた不思議な空間がここから先。


その名も結界門。
明治30年(1897年)に建立された。
不浄の者入るべからずという意味。


結界門といえば通常は女人禁制の山などに設けられる門
女性の生理を不浄と考えてそこからの入山を規制していたとされるが
山の神が基本女性であったことも踏まえ、女が入ると妬まれるなどといわれたりもした。
しかしその実態は女性を危険な地へ足を向かさないようにするのが本意だったとか。
ただしここの結界門は女性も当然通過できる。

両脇には天狗がまるで仁王像のように出迎える。
右側が大天狗。左側は小天狗(烏天狗)


応永18年(西暦1411)3月27日了庵慧明の弟子でこの寺の創建に尽力した妙覚道了(みょうかくどうりょう)が亡くなる際、こんごは天狗となって皆を見守るといったことからこの寺は天狗を強く信仰するようになったそうな。


天狗になってしまったのか...有頂天家族を思い出すw



御真殿

さてその結界門の向こう側、階段の上にあるのは...


御真殿
ここの本尊は道了大薩。


妙覚道了はやたら人気があるようでこの結界門以降のエリアはほぼ妙覚道了のエリアといっていいくらい。

世界一大きい和合下駄

これらの色々は全て門徒のお礼参りの品。



まぁ下駄が世界一というのは果たしてどうなのかw

大雄山 奥の院


この先は奥の院。いくこともできますがとにかく長い階段を登らねばならないので
今回は見送りました。

帰り


帰りは寺院の裏側をとおって駐車場に戻りました。

所要時間はおよそ一時間弱です。

総評:とにかく相模川以西では随一の大伽藍を備えた大寺院。
地元からの愛もひとしお。歴女な彼女、御朱印好きな彼女がいたら一度はいってみる価値ありですね。年末年始 初詣にも最適。





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