ソウル東側にある門。
周辺には東大門市場などスポットがいっぱい。
でも実はこの東大門自体が超スポット
ということで今回は
東大門です。
東大門(トンデモン 興仁之門)
場所はソウルの東側。
昌徳宮の隣にある昌慶宮よりも東側にあります
地下鉄なら東大門駅で下りればすぐです。
この周囲は東大門市場などショッピング街としても有名ですよね。
さてこの東大門ですが
ソウルの昔の名前 漢城の城壁に設けられた出入り口です。
コリアンwikiより抜粋。著作 - 자작
漢城その名のとおり町全体を囲む城だったわけですね。
日本で言えば総構えに似てますが
日本の場合は町の中にも堀などがあるのですが
漢城については外周の城壁だけが守りの要のような状態だったようです。
日本の鎌倉に似ている城構えだった感じですかね。
古い写真を見るとなんとなく城壁だった名残が見えますね。
1904年
1919年
1920年~1940年の間
ということでここ東大門は城の外周の門ということになります。
城壁が遠くに見えますか?
つくりは二層になっており、
城壁の外側に位置する形で大きな石積みの塀が囲んでいます。
この門は興仁之門(フンインジムン、こうじんしもん)ともいわれ
1396年、他の門と共に建設されました。1453年1869年に修繕されている。
ということはこの門は修繕されているものの昔のままの姿を残しているともいえるよね。
四大門の一つで儒学の徳目である“仁義礼智信”からこの門を興仁、そして敦義、崇礼、粛靖(智のかわり)と名づけられている。
内側に廻ってみると...
二層の建物がとても美しいですね。色合いもなかなか素敵です。
防御の建物にも美学を感じます。
門自体は意外と狭いですよね。
内側真正面から見ると建物の美しさがより際立ちます。
しかしこの門も実は2018年に放火されています。
何とか小火で済みましたが崇礼門の焼失などを考えると
この国は自らの文化を自ら滅ぼす伝統があるような...
そう考えると景福宮が民衆によって放火されたという意味がわかるような気がします。
逆側の東大門駅の入り口。9番出口近辺はこんな感じです。
総評:もうすばらしい門ですね。
感動します。崇礼門が無き今、この門こそが歴史の有る門ともいえますよね。
門はココ東大門のほかに
北へ
東小門(恵化門)
1396年に建立。風水学者の意見により粛靖門を閉鎖したために実質北門として利用されるようになる。守備兵は20人から30人。1592年文禄の役の際に門楼が焼失。1744年再建。植民地時代の1928年、管理が難しいということで取り壊されたが1994年に北西に13m移して復元されている。
wikiより抜粋。著者Mark Froelich
山のほうにすすみ
粛靖門
四大門の一つですが山間部にあるため人の利用がなく
実質門の機能はありませんでした。
1413年に風水学者により閉門を提案され路上に松を植えて通行を禁止する。
しかし陰陽五行説の中において粛靖門は水を象徴するとあって旱魃になると門を開けて雨が降ると閉めるなどしたそう。
1963年に史跡第十号に指定。1.21事件以降、青瓦台警備の為に一次封鎖していたが2006年に一部開放している。現在の門楼は1976年に復元されたもの。扁額の文字は朴正煕元大統領が書いたもの。
wikiより抜粋。著者 - Flickr:IMG_0121.jpg
北西に
北小門(彰義門)
現在の門は1741年に再建されたもので四小門の中で唯一現存している。
1413年、風水学者により宮殿と王朝に災いをもたらすとのことで閉鎖された。
2015年大韓民国宝物1881号に指定。
wikiより抜粋 著者Korea.net
西に
西大門(敦義門)
四大門の一つ。1915年撤去済み
西南に
西小門(昭義門)
コチラも既に撤去済み
元々処刑場があった門のようで不浄門とされていた小さな門
カトリックの殉教者がおり、この門の近くが聖地とされている。
元々門楼がなかったが1744年に門楼が完成している。
南に
南大門(崇礼門)
写真はwiki a:file:Namdaemun2.jpg より抜粋
国宝第一号だったが放火で燃えてしまった。
写真はwiki - 커피나무님 より抜粋
現在は再建後の建物南東に
南小門(光熙門)
コチラも小門の一つ
植民地時代 維持管理がむずかしいとのことで取り壊されているが
1975年に復元された。
wikiより抜粋 著者Korea.net
があります。
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