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2020年1月8日水曜日

【富士山をめぐる旅 第七回 世界文化遺産 富士五湖】精進湖

さて前回は本栖湖を探訪しました。
透明度が高くまた深い湖でしたよね。
さて今回の精進湖は
富士五湖内で一番小さな湖です。

今回はそんな精進湖にいって見ます。



15時48分頃到着




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精進湖

とにかく小さな湖。
はじめ訪れた際はちょっと大き目の川かと思ったほど...
でも周囲にはキャンプ場やホテルがぐるっと囲んでおり
リゾートとしてはとても便利そうなところです。




世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」

名前の由来は富士参りに来た人たちがここで沐浴し精進潔斎したことがあげられている。
富士山信仰の対象としてその名称からあげられているような感じもするが
前回の本栖湖の回で記載したとおり
本来精進湖は含まれる予定ではなかったようで
いわば山梨県のごり押しとでもいうような登録だったともいえなくもないw


小さなリゾート湖

精進湖は神奈川県にあるダム湖
丹沢湖の1/4程度のサイズしかない。
本当に小さな湖。
更に水深も最大深度で15mほどしかない。
本当に小さな湖。
しかしその周りに六件ほどのホテルやロッジなどが点在している。


狭い堰止湖にはありがちだがとにかく栄養分が豊富なため
時折水質が悪くなり常時透明度は3mほどしかなく基本緑色をしている。

かつては湖畔北側に集落があったが湖水の上昇で水没の危機になったため南側にある青木ヶ原樹海内の一部を切り開きそこに移設された。
よく隔離集落などと騒がれたりする場所だがそこには山荘などが多数ある。


剗の海


前回も書いたがその昔この地は剗の海と呼ばれる大きな湖だったが貞観六年(864年)の貞観大噴火により流れ出た溶岩流によって堰き止められ西湖と分断されることになる。
その間の広大な土地には樹木がおい茂り青木ヶ原樹海を形成した。
神奈川県のあちこちに足跡を残したといわれている行基がいた頃はまだこの剗の海は存在していたんだと思うとなかなかどうして気になる湖ですよね。

菅原道真らが編纂にかかわって延喜元年(901年)8月に完成した「日本三代実録」には

「駿河国富士大山、忽有暴火、焼砕崗巒、草木焦殺。土鑠石流、埋八代郡本栖并剗両水海。水熱如湯、魚鼈皆死。百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記。両海以東、亦有水海、名曰河口海;火焔赴向河口海、本栖、剗等海。未焼埋之前、地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁、然後有此災異焉。」

現代語訳「駿河国の富士山が大噴火した。峰を焼き砕き、草木は焦がれ死ぬ。土や石くれが流れて、八代郡の本栖湖と剗の海を共に埋めた。湖水は熱湯になり、魚や亀の類は全滅してしまった。民家は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、そのような例は数え上げることもできない。ふたつの湖の東には河口湖という湖があり、火はこの方角にも向かっている。湖が焼け埋まる前に大地震があり、雷と豪雨があり、雲や霧が立ち込めて暗闇に包まれ、山と野の区別もつかなくなった。しかる後に、このような災厄が訪れたのだ。」
とある。その当時の有様が見て取れる。

因みに湖の真ん中の半島に北側に湖に流れ込んだ溶岩が水蒸気爆発した跡のクレーターが残っています。



湖の北側にある小さな集落に「精進の大杉」なる千年杉があるがこの樹齢は1200年ほどだそうでちょうどその貞観大噴火の頃に生まれた杉ということになるね。もしかしたらその大惨事を目にしていたかも知れない...

この精進湖と西湖の間はその後戦略的街道が通る絶好の場所となります。
甲斐の武田は多分この街道を使って南進し時に駿河に入り込んだものと思われます。
その街道にある八坂にむかし話がありそれがまんが日本昔ばなしに収録されている。



総評
平安時代のその大きな富士噴火のうねりを実感するには是非訪れてほしい湖。
でも自分は富士五湖の中ではやはり本栖湖が一番いいと感じはしますが
ここも歴史的に捨てがたい。




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