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2016年12月15日木曜日

おかげ参り道中 第十立ち寄り所 彦根城

今回はおかげ参り道中 第十番目立ち寄り所
彦根城です!

もう随分昔、20年ほどだろうか…
一度訪れたことのある彦根城。

そしていいおっさんになった今
新たに訪れる彦根城
果たしてその彦根はいま…

ということで今回は彦根城です!






国宝 彦根城

大城郭の多くが残っている彦根城はとても貴重な遺構です。
これは姫路城について一生に一度は拝んでおくべき城だと言えます。

現存天守12城の内僕が訪れたことがあるのは
弘前城 姫路城 犬山城 彦根城です。
あら まだ四つしか訪れてないw

お城自体は色々行きました。
五稜郭 弘前城 青葉城 会津若松城 江戸城w 川越城 忍城 小田原城 一夜城 館山城 甲府城 沼津城? 駿府城 浜松城 岡崎城 名古屋城 犬山城 岐阜城 彦根城 姫路城 熊本城です。
いってるほうかな??

さてそんな予断はさておき
今回は彦根城再びですw
昔行った時はあまりピンと来ませんでしたけどね。
今回は結構な年齢を重ねて、おっさんが見る彦根城は青い若かりし頃見る彦根城とは随分違っていることでしょう。

中濠東西通りから入り 京橋交叉点を左折
立派な石垣のシケインの先に長屋のような古びた建物。
あれもお城の遺構の一つ。
やはりこういうのが残っているというのもすごい話です。

14:30

彦根城駐車場到着
ここは桜場駐車場というらしい。

そこからトボトボとお堀端を歩き二の丸駐車場方面へ…

本日は馬屋と佐和口多聞櫓が公開中とのことでまずはそこを見に行きました。
馬屋は現存するものが少なくとても希少とのこと
もちろん重要文化財だそうです。


綺麗な作りですね〜
すぐ近くに佐和口多聞櫓があります。


中に入れます。靴を脱いで入ります。



柱がとても大きい!しっかりとした作りです。

天守閣が見えます!


これだけでもなかなか見ごたえがあります!

もう少しじっくり見学したかったのですが時間がありません。
後ろ髪を引かれつつ櫓を後にしました。

そして表門橋を渡る。







そしてその先には表門入り口のチケット売り場…
しかし しかしまだチケットは購入しない!
そう僕らの彦根城第一のミッションは…

こいつだ!


ひこにゃん! 実は彦根城には定期的にひこにゃんが登場するのです!
ひこにゃん出陣予定はこちらのページ!

ちゃんと予定は控えておいた!

御殿を模した彦根城博物館前の庭に通される。


待つこと数分。
本当にちょうどについたことがわかる!
そしていよいよひこにゃん登場だ!





ナマひこにゃんはやっぱ可愛い


となんとなく司会者の言葉で持っている気がしたパフォーマンスでしたが…w
ひこにゃんと言えばゆるキャラブームの火付け役として有名だが、この白猫(らしいがスタッフたちはモチと呼んでるらしいw)、実は世界規模で有名な猫のデフォルメ…というかその世界的猫もデフォルメされたものであると考えるともしかしたらそちらの方が元祖ゆるキャラと言えるかもしれないのだが…笑 彦根二代目藩主 井伊直孝の命の恩人というか恩猫を模して作られたのだ。それこそあの世界中で愛されている猫キャラ!そう招き猫なのだ!






<招き猫>直孝が鷹狩りに出かけた際、江戸ハズレの小さな村の貧しい寺弘徳庵の前を通りかかると白猫が門前で手招きをしている。それを見て門に入ったところちょうど直孝が今しがたいたところに雷が落ちた。以後直孝はその寺に多く寄進をしてしかも直孝の菩提寺にするなどその後隆盛を極め豪徳寺と呼ばれるようになったとのこと…。

ってことはこの猫 東京の猫じゃん!

そう招き猫伝説は東京の豪徳寺の話。

え?招き猫って世界的に知られているのかって?
そりゃもうめちゃくちゃ知られてます!
特に中国を中心に…すでに招き猫の由来も知らず
中国の伝説だと感じている人もいるくらいだ。





さてひこにゃんに話を戻すがひこにゃんが被っている兜は井伊の赤揃えで天衝脇立様式の兜だそうだ。(後ほど博物館で撮影したものをお見せします。)かわいいよね。


さてゆる〜いパフォーマンスをゆる〜く楽しんだ後、我らはいよいよ券売所へ…


そして時間的制約がある中なので迷ったのだが彦根城・玄宮園 彦根城博物館セット券を購入しました。
そして即入場したのが彦根博物館。

15:15頃です。

うん!ここは入る価値がある!貴重な品々がいろいろと陳列されているだけでなく


三光尉(さんこうしょう)
桃山時代 本館(井伊家伝来資料)
老翁の相貌。室町時代の面打、三光坊(さんこうぼう)が創り出したので、この名があるといいます。尉(じょう)の面には、老神の面から人間の老人まで、いくつかのパターンがありますが、三光尉は皺(しわ)の数が多く、しかも肉厚に作られます。やや品格には欠けるものの、かえって庶民性を感じさせます。
Noh mask: Sankojo
Color on wood
Momoyama period, 16th century
Gift of Ii Family
Hikone Castle Museum



小天神(こてんじん)
洞水満昆(どうすいまんこん)作
江戸時代
本館(井伊家伝来資料)
天神の面は、怨霊(おんりょう)となった菅原道真(すがわらみちざね)の相貌ともいいますが、文字どおり天井の神の姿に用います。目や歯に金を入れ、盾や髭(ひげ)を跳ね上げて、たしかに忿怒(ふんぬ)の相に違いはありませんが、どことなく人間味も感じられます。満昆は、大野出目(でめ)家5代の衛打。
Noh mask: Kotenjin
By Dosui ( on 1729)
Color on wood
Edo period. 18th century
Gift of Ii Family
Hiking Castle Museum



節木増(ふしきぞう)
江戸時代
本館(井伊家伝来資料)
”節木増”の名は、節のある木でつくった”増(ぞう)”の女の面という意味。宝生流(ほうしょうりゅう)に特有の面で、面裏の銘記によれば、この面は宝生本面の写しです。理性的で清楚な顔立ちにつくられます。江戸時代には、若い女の面は、観世(かんぜ)が若女(わかおんな)、金剛(こんごう)が孫次郎(まごじろう)、喜多(きた)と金春(かねはる)が小面(こおもて)、そして宝生が節木増を、流儀の面としていました。
Noh mask: Fushikizo
Color on wood
Edo period. 18th century
Gift of Ii Family
Hiking Castle Museum


おぉ!?宝生流とはどこかで聞いたことがありますね。熱海で見た薪能でした。
撮影できるこれだけ見てももう見る価値ありそうですよね。
さて最後にさきほどひこにゃんもつけていた井伊の赤揃え天衝脇立様式の甲冑です。


かっこいい!




昔の表御殿の復元もあるので当時の殿様がどのような生活をしていたのかその一端を垣間見えます。



15:40頃博物館をでました。


急いで回って30分はかかります。
正直見所は多いので30分だと勿体無い。
できればゆっくり回って欲しいです。





券売所の隣にある城郭の入場口から城内に入ります。
はじめは階段…広いので歩きやすいですけどどうしてもお年寄りとかにはきついかもしれませんね。


この階段を上ると…
でで〜〜〜ん!


きた〜〜〜っ 彦根城第二の醍醐味!
重要文化財 天秤櫓と廊下橋です!
下から見上げる形なのでその威光を感じさせますね。


心理的なデザインに感心させられます。
そして廊下橋をくぐり


天秤櫓の正面に来ます。
ずど〜〜〜ん!



かっこいい!
ご立派!




天秤櫓を通り過ぎるとこんな感じ


実はこの天秤櫓内部公開されています。

帰りに撮影したのがこちら。
もう時間もなかったのであっという間の滞在でした。
スリッパに履き替えての見学です。
係員のおじさん曰く、ここを見学するよりも玄宮園に行ったほうがいい
あそこの方が綺麗だよと教えてくれそそくさと天秤櫓を後にしました。


やはりもう少しゆっくり見たかった…

さてまた階段を登っていきます。
とちゅう鐘撞堂がありました。


なんかにほん昔話に出てきそうな雰囲気!

そして鐘撞堂の場所を折れると…

重要文化財 太鼓門続櫓です。


裏からみるとこんな感じ


なんか面白い。バルコニーがあってw なんとなく中国にある建物みたい。
内部はこんな感じです。光が差し込んで気持ち良いですね。


そしてそしていよいよきました
本丸!

そして…

あった〜〜

どどど〜〜〜ん!



国宝 彦根城天守閣!


こじんまりとしていますがとても美しい!
下から 切妻破風
    千鳥破風
    唐破風
一番上の入母屋破風
と配置され美しい窓も花頭窓という珍しい窓を配し美しさを彩っている。
石積みは牛蒡積みというらしく野良積みの中でも胴長の石を利用しているとのこと
牛蒡のような石ということだろうか…

でもなんとなく小田原のういろう本店のようにも見えるw






撮影者はいっぱいいた。


しかしこの彦根城。入場口から天守閣まで意外と近いのと天守閣自体がこじんまりとしているので小さな城のようなイメージがします。しかし規模としては小田原城の1.5倍〜2倍くらいの大きさがある大城郭。
そもそも井伊家は前回岡崎城で紹介した本多忠勝同様、徳川四天王の一人井伊直政の直径一族で譜代大名だ。ここ彦根城も天下普請でつくられ15の大名が城作りに力を寄せている。直政は18万石で入封したが幕末には30万石を超える大大名になっているのだ。そりゃ小田原城なんか比べ物にはならない。むしろ藩政の規模に比べれば小さいくらいの城でしょう。

どうです?そう思うと彦根城。この三層の天守もだんだん姫路城にも増す壮大な天守のように見えてきませんか?


天守閣だけのイメージで見てはいけない!

さて、御託はさておき
そろそろ天守閣内部に入りましょうね…
天守閣は裏側から入ります。
もちろん靴は脱いでくださいね。



中に入るとやはりしっかりした柱が目に入ります。


地震の多い日本らしいです。
そしてこれまた現存天守特有の急な階段が目に入ります。


一階に行くと 夕方にもかかわらず人が行列をなしていました。
よくよく考えると現存天守って中は空っぽなんですけどねw
お殿様がいたのは御殿のほうですから絢爛豪華さは御殿の方と成ります。
しかし御殿が残っているお城はすくないのでみんなとりあえず天守閣に行くんですねw

ちなみにここ彦根では御殿の一部が残っています。楽々園にあるのがそれですが残念ながら内部は時間がなく見ることができませんでした。
やっぱり彦根城を2−3時間でみようとするのは時間が少ないですよね。


一階から上に上がる階段はさらに急!しかも狭いので頭がぶつかりそうです。


二階の広間

そして最上階。





内部はこんな感じ


さて眺めは…


こうだ!

これは北側…左側に琵琶湖が見えます。


これが東側 彦根の市街地が見えます。


こちらは南側 太陽がまぶしい!


そして西側 目の前が琵琶湖ですね。


昔は彦根城を琵琶湖が取り囲んでいたとのことですからまさに目の前は琵琶湖だったんでしょう。最高の眺めですね。

さてここには隠しの間のようなものがあるらしく男の子が入ろうとしていました。


16:30
ということで天守閣を堪能し、後にしました。


その後、天秤櫓をまわり、そこの係員さんの言葉通りに玄宮園へ向かいます。
もう閉園も間近!急がねば!

帰り、廊下橋から夕日を撮影!


そしてやっと玄宮園にたどり着きました!

16:44


玄宮園は井伊家の下屋敷として整備された庭園で今では国の名勝に指定されているらしい。



訪れたのは11月初めなのでまだ紅葉というには早すぎる感があったがそれでも素晴らしい庭園です!これは見ないといけませんよ〜


池に複数の島が配されており
唐の玄宗皇帝の離宮を模しているということで玄宮園と名付けられたとか…


こりゃ早めに来てゆっくりしたい場所です。



11月下旬までライトアップされるそうです。


そして玄宮園のすばらしいところはこれです!


 そう彦根の天守を借景として眺められること!
こりゃすごい!


玄宮園に映るさかさ天守がまた美しさを醸し出します!

こりゃ絵になる!

あれ?ちょっと上空を見上げたら…


わかりますか?


月が出ています!

こりゃいいわ〜
天秤櫓のおじさんが言っていた通り!ここはこなきゃ!

そしてトボトボと進みます。

すると御殿の一部残っていた場所が現れます。


槻御殿です。


玄関口には残念ながら閉館の文字…
うわ〜入りたかった!

ところで少し話は逸れますがこの玄宮園なんだか宿泊ができるとか??
まじかよ!なんだミラコスタみたいじゃねーか!
お殿様気分が味わえる?w宿泊先興味がある方はこちらへ…



さて話を戻そう。
城郭というのは基本何もありません。当然ですよねあそこは単なる物見櫓だし
戦争のための施設ですからとても殺伐としています。
お殿様やお姫様が暮らしたのは御殿!
絢爛豪華さで言えばそれこそ御殿なのです。

江戸時代のお城が宮殿化し始めてきたのですが
日本人的にはなぜかやはり天守閣を大切にして御殿をなかなか大切にしてこなかった
最近は御殿の再建も行われてきたようですが
やはり人の生活を感じられる御殿をもっと残して欲しかったし
また再建にも力を入れて欲しいものです。

と…この槻御殿

あの井伊直弼の生まれた場所だそうです!
側室の子だった直弼は一生日陰者と自ら埋木捨(うもれぎのや)と名付けた邸宅にこもったそうです。そこは今も現存していますが残念ながら今回は見学できませんでした。
その後運命の歯車が回りだして15代藩主に…その後幕府の大老に任ぜられ、天皇の勅令がないままに日米通好通商条約を締結。日本の開国を断行!反対派の粛清(安政の大獄)をおこない反動で桜田門外にて暗殺(桜田門外の変)されるという激動の人生を送った人。
不平等条約とされる日米通好通商条約だが今ではそれも見直され直弼の名声は徐々に持ち直しているようです。
その井伊直弼の彦根城。
その後世の中はみんな右往左往の上よ下への大騒ぎ。あっちゃこっちゃで内紛が始まり明治維新。庶民はええじゃないかの大混乱。その後新政府が生まれ、士族たちが最後の悪あがきで西南戦争。ラストサムライ死去のあと、強力な中央集権化を図った政府が行政の権限を大幅拡大。国会開設がなかなかなされない板垣らが自由民権運動。「板垣死すとも自由は死せず。」の言葉が生まれ、そして国会の開設、一時的な自由思想から大正ロマンの流れになり、その反動と新政府樹立間も無くの強力な中央集権化から発生した軍部の独走による第二次大戦突入までのまさに大河の世界が続いていくわけです。

その発端の場所にいる。
感動以外の何物でもありません。

17:00

その感動を味わいつつ
彦根城を後にしました。


総評:城郭を見学するのに2−3時間は少なすぎる。
   最低1日は要したほうがいいと言うのが今回学習した点。


彦根周辺に宿泊されたい方はこちら↓












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