第五立ち寄り所 犬山城
今回は犬山城の紹介です。
国宝なのになんだかちょっと地味。
その地味さの理由にも迫ります!
ぜひごらんください。
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っと 冒頭からすみません。
城郭模型の分類に入れていますが
実は今回その城郭模型の画像がありません。
時間の都合上城郭模型がある城と街ミュージアムには行けなかったのです…トホホ
でも城と街ミュージアムにはすんばらしい城郭模型があります!
ぜひ訪れてください。僕も次回は必ず訪れます!
気をとりなおして犬山城です。
予定ギリギリに到着した犬山城。
入り口には
16:16に到着しました。
入り口には立て看板があります。
なるほどこんな構図になっていたんですね。
山のトップに天守を乗せて
松の丸だとか杉の丸などで囲っています。
天守の裏は木曽川なので攻めることができません。
前方にだけ防御をこらせばいいってのは楽ですね。
しかし松の丸から先、本丸までは直線の階段。
なんとなく無防備な感じしますけどどうなんでしょ?
まぁでも本丸を目指して駆け上がってくる兵隊を
両脇から攻撃されたらひとたまりもありませんね。
一点集中で攻撃できる点を考えるとなかなか強固な作りだと思います。
今は大手道の中門あたりにいるようです。
昔の三の丸。武家屋敷が立ち並んでいた場所ですね。
進んでいくと階段などもあります。
石垣も残っています。
塀やら御殿やらは無くなって神社などにかわっていますが
遺構はしっかり残っているようですね。
神奈川県民としてはどうしても小田原城と比較してしまうのですが
規模としては小田原の半分くらいって感じでしょうか?
こじんまりとしたお城です。
ものの一、二分も歩けばチケット売り場があります。
反対側に櫓が建っていました。
鉄砲櫓だそうです。雰囲気出ますね〜
でも昔からのものではなく近年のもののようです。
後ろを振り向くとこんな感じ
そして本丸には入ります。
鉄門を模しているのかな?
すると…
でで〜〜ん!
きたーーーっ 国宝犬山城天守閣!
ってすぐあるんだねw
まぁ小さなお城だからそりゃそうだw
それに現存天守のみ建物が残っているわけだから当然といえば当然かも…
犬山城に近い宿泊先は以下↓
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しかし…おぉぉぉ 写真で見るよりなんか凄い!
姫路城などは壮麗だけど犬山城はなんだろこ落ち着き感…
近づいて見ましょ!
ででで〜〜ん!
うーん なんだ?やっぱなんかいいなぁ
なんだろ…ずっしりしてるね。
だだ〜〜〜ん!!
天守に入るで!
石垣がすごいね。
階段が急!
もちろん木造だけどでもしっかり作られてる!
夕方の犬山城は西陽が綺麗
一階には上段の間なるものがあるようです。
また急な階段を上がり二階へ…
二階はこんな感じ
外の景色もイイ!
二階は見所があります!
甲冑が飾られていました。
城廓図です。
三の丸を省いたのがこちら
天守閣の模型です。
犬山城天守閣は地上から24mだそうです。
そもそも天守は金山城の移築とのことで以前は日本最古の天守とされており
古い形の天守の代表格としてあちこち(小牧山だとかw)
で犬山城を模した天守が作られたようだけど解体工事の際、
金山城からの移築の痕跡がみられず。その説は否定されたとのこと…
でも古い天守である事は間違いないからいいよね。
望楼型天守というらしく下二階の入母屋作りの建物の上に後ほど望楼を乗せたそうだ。
明治初期の写真も展示されている。
うーん もったいない
この城廓全てが残っていたらさぞかし素晴らしかったろうに…
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と過去を嘆いてもしかたないw
さぁ望楼部にはいるよ!
三階望楼部
ここは破風の間と呼ばれてて唐破風の部分。
城主成瀬氏によって唐破風が作られたそうだ。
唐破風ってのはなかなか不思議なのですが
唐破風って言うくらいだから唐のものという印象が強いんだけれでも
唐破風の文化は日本独特らしい…
沖縄の那覇城。あそこでは唐破風は日本風建築の影響とされているんだよね。
さぁいよいよ最上階だ!
きた〜最上階!
絨毯が引き詰められている〜
なぜ? 保護のため??
違うんですわ…
実はもともとそうだったとのことw
城主成瀬氏はオランダ商館とのつながりが強く
犬山城の最上階には絨毯が引き詰められていたとのこと…
改修を機にをれを再現したとのことです。面白い!
さて最上階からの風景を見る前に
ここに飾られている歴代の城主を見てもらいたい。
実はこの天守以前は日本で唯一、成瀬氏の子孫の個人所有だった。
しかしさすがに国宝の維持は大変らしく2004年に財団法人化。
現在はその財団が運営をしている。
成瀬さんは最近まで城主だったわけだ。
海外ではあるけどね。日本では凄い!
さて蘊蓄ついでにここでも蘊蓄
実はこの成瀬家配下の犬山藩
江戸幕府下では正式な藩とは認められていなかった。
どゆこと?
幕藩体制下大藩になると所領全てを見るのが難しくなるため
藩内に支藩なるものが置かれ、幕府から正式なお墨付きがないまま
藩体制を維持する形式があったらしい…(知らんかったわ…)
それが犬山藩。
成瀬氏は江戸幕府からするとあくまでも尾張徳川家の重臣の一人。
いわば尾張藩の支藩という位置付けだと考えられる。
犬山藩はそれでも3万石。1万石以上が大名と言われていた当時からすればすごいよね。
ちなみに前回岡崎周辺の諸藩。深溝藩 衣藩 刈谷藩 伊保藩などより大きい。
尾張藩の重臣の中では一番の所領を有した重臣だったわけだ。
どうりでお城としては有名なんだけどなんかぱっと垢抜けないわけです。
さて支藩といえば面白いのが錦帯橋のある岩国藩。
ここも実は毛利長州藩の支藩なのだ…
吉川3万石の配下である。
ところがここは江戸幕府から認められている藩w
もともと長州藩毛利家の家臣として吉川家はあったが
毛利家としてはあくまでも家臣ということで支藩の申請を江戸幕府にしていなかったらしいw
ところがある時長州藩からの独立を画策した吉川氏が江戸幕府に藩申請をしてしまった。
江戸幕府としては毛利家の力を少しでもそぎたいがため吉川家の独立を認めてしまう。
そのため長州藩の支藩という位置付けを持ちながら江戸幕府としては藩として認められるという不思議な構図になっていた。笑 申請は六万石でされているそうだ。
当時から申請で認められるか否か決まっていたところが面白いけどね。
岩国藩といえば居城も四層天守の立派なもの…しかし陣屋と呼ばれていたらしいのも面白い。
もう一つちなみをつけるなら
厚木の愛甲に拠点があった萩野中山藩は小田原藩の支藩だ。
さて話は長くなったが
やはり見たいよね?眺望!
こちらです!
どや〜〜〜
素晴らしいじゃないですか!
お殿様はこんな風景をいつも見ていたのでしょうか?
いいね〜
夕方の木曽川 そして犬山城!何もかもが映える!
ロンブー淳が気に入る理由がわかるわ!
いや〜感動です!
しばらく堪能してから天守を降りました。
出てみるとお城の石垣に目がいく…
野面積み(石を加工せずそのまま積み上げる積み方)だそうだ。
敵に登られやすいという欠点はあるが排水性がよく城の維持としては
とてもいいらしい…
野面積みといえば穴太衆が有名だがここのは違うのか?
ちなみに穴太衆は今は二人になったとか…
大きな杉もあった
犬山城築城当時からあったらしく犬山城を雷などから守ってくれたとか…
ありがたやありがたや
ええね〜
なんか桜も咲いてた万年ザクラとかなんとか…
そして本丸を後にしました。
17:00
駐車場を後にしました。
犬山にお越しのさいは是非こちらのホテルを↓
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