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2020年3月10日火曜日

【厚木 七沢 横浜ウォーカー割】小林多喜二も滞在した老舗旅館 七沢 福元館

七沢に小林多喜二も滞在した宿がある。
七沢温泉福元館。

この三間の深くにある旅館 福元館に今回も横浜ウォーカー割で参戦。
そこには衝撃的なことがありました。

福元館ぜひご利用のご参考にしてください。





七沢温泉 福元館(じゃらん予約)

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福元館










駐車場


無料の駐車場が建物の脇にあります。
建物下にも駐車場がありますが停めづらいので空いてるなら建物脇の駐車場のほうが良いと思います。



周辺

厚木、伊勢原周辺というのは意外な史跡などがあったりします。
ここ七沢温泉周辺では少し離れてはいますが大山阿夫利神社日向薬師があります。
七沢自体にも室町時代中期から戦国時代前期にかけて存在した七沢城の跡が垣間見えたり、七沢観音寺があったりとちょっとディープな歴史好きにはなかなか楽しめるエリアだと思います。



 小林多喜二逗留の離れ

プロレタリアートの代表格、小林多喜二が昭和六年三月から四月に逗留した場所がここ福元館の離れだそうです。
せっかくなのでその離れに行ってみないのはもったいないですよね。
ということでフロントで鍵をいただき向かってみました。


場所は本当に離れ。
福元館本館から目の前の道を挟んだ反対側の斜面を階段で登っていきます。


その先すぐにその建物があるのですが
その建物の手前に大きなトイレがありますw


どうもその奥には有料のアスレチック施設のようなものがあるようで
その利用者のためのトイレのようです。

そのトイレの奥側にその建物があります。


なんというか本当に昔のあばら家といった感じでしょうか?


なんだかおじいさんとかが出てきそう。


そのあばら家のカギを開けて中に入ります。
その鍵もまた古い感じ...


中に入るとそれこそ古い一軒家...


大正十四年(1925年)に建てられた建物のようでこじんまりとした一軒平屋です。
玄関は少し高めに作られた台を上り畳敷きの部屋になっています。


部屋は玄関口を含めなければ二部屋。


トイレなどは奥にあるようですが
炊事場のようなものは見受けられませんでした。
当然上げ膳据え膳なのでしょう。


このなんとも寂れた七沢温泉の地で缶詰になって作品を仕上げたり政治活動の拠点にするにはとても良い場所だとは感じます。



周辺を散歩したり、時に母屋の温泉をつかりに行ったり
小説作成、文章作成に没頭できそうな感じですね。





室内には小林多喜二に関するものがいくつかありました。
中には直筆の色紙まで...貴重ですね。


小林多喜二といえば「蟹工船」が有名ですよね。なんとなく労働者を視点にいろいろな文学を描いた人物といった感じです。私も蟹工船は読んでます。


秋田県の現大舘市に生まれた彼は幼少のころ一家で小樽に移住。移住した理由は一家の貧しい生活から伯父を頼っての移住だったようで、さらに当時小樽には多くの低賃金労働者が集まっておりその環境から彼は徐々にプロレタリア的思考へ移行していったといいます。しかしその実当時の小樽はとても活気ある場所で、北海道では「食い詰めたら小樽に行け」という言葉があったほどだとのこと...だとするともしかしたら当の労働者たちはそれでも食っていける小樽はまだありがたい場所だったのかもしれません。


小樽高等商業学校を卒業し拓銀に入行。1929年 「蟹工船」「戦旗」などを発表。プロレタリア文学の旗手に躍り出ます。このころから警察から目を付けられるようになったようです。それらがもとで拓銀を解雇されています。


1930年5月共産党への資金疑惑で一時逮捕勾留されるがその後釈放。同年7月「蟹工船」などによる不敬罪で追起訴。8月には豊多摩刑務所に収容され、翌1月に保釈。そのあとここ七沢に逗留しています。



ということはここ七沢に逗留したころはむしろ警察から常に見張られている状態。
いわば半お尋ね者状態だったわけですよね。
そんな人物を逗留させたとあれば当然福元館の一家も目を付けられる可能性があります。
なかなかの勇気ですよね。実は長らくこの多喜二滞在の場所は伏せられていました。まぁ当然ですよね。しかし2000年に地元の多喜二研究家によってここ福元館だと発覚したという経緯があるようです。面白い!


1931年に日本共産党に入党。翌年「党生活者」を執筆しています。

1933年官憲に拘束された多喜二はその熾烈な拷問によってなくなっている。享年30歳。
若いわ...

この小林多喜二の滞在した場所、家などはほとんどなく、ここ七沢温泉福元館の離れが現存している唯一のものだそうだ。
2009年前後、小林は再評価され「蟹工船」が50万部のヒットを呼んだ。そんな彼の遺構がここにしかないというのは少し寂しくもあるよね。ということで「蟹工船」読んだ人はぜひ訪れてほしい場所。



七沢温泉 福元館(じゃらん予約)



外観


建て替え継ぎ足しをしていった建物。
当然寂れた温泉地の建物という感じが否めません。


それでも入り口は間口をしっかり大きくとっており
観光ブームになっている日本において少しでもその恩恵を受けようと努力されているのが垣間見れます。


ロビー

ロビーに入ると昔ながらの旅館といった感じ。


大きな入り口は右手に下足箱とスリッパなどがあり、床間に上がります。
囲炉裏があるのがなんとも風情を感じます。


ロビーには当然フロントがあります。
ここで利用をお願いするとお話し好きそうな女将がもう慣れたように横浜ウォーカー割を対応してくれました。利用客数を訪ねると非常に多いとのこと...横浜ウォーカー割の人気をうかがえます。


広くとってあるロビーから奥に向かうとお風呂につながっています。


赤いじゅうたんが僕らを導いてくれますよw



料金 営業時間

デイユース 五時間まで滞在可能
 お風呂のみ 1000円
 華膳プラン 3500円
 会席プラン 5000円

詳細は直接お問い合わせください。


中庭

ロビーからは中庭が見ることができます。
お風呂の後のちょっとした夕涼みにとてもいいですよね。




設備

Wi-Fi 実はちゃんと記載あるんだけど使えません!笑
なんでやろうね。まぁでもこんなところ来てまでWi-Fi使わなくても...とも思いますw


大広間 200人収容できる大広間があるようです。

ダンスホール これ絶対店主の趣味なんだと思うけどw ダンスホールがありますw
ダンスホールを主軸としたプランもあるようです。

会議室 60名まで利用できる会議室もあります。

ノマド

ノマド利用が果たしてできるか?と思いましたができそうもありません。
これならスタバ行くべきですw

歴史


安政三年(1856年)、古根村仙蔵が農業の傍ら浴槽を設けて客に提供していたところから始まるそうです。
本格的になったのは明治四十四年(1911年)古根村仙太郎の妻、ヤエが福元館を開業。
昭和六年3月~4月、プロレタリアートの小林多喜二がひと月逗留しています。

安政といえば安政七年に井伊大老を殺害した桜田門外の変がありました。
このブログで安政といえば川崎の日本民家園に訪れた際にあった建物、日本の重要有形民俗文化財船越の舞台が伊勢志摩に建てられたのが安政四年でした。
中井町に起きた江戸時代のストーカー事件は多分このころに起きていたわけですね。


休憩室

お風呂は入れ替え制です。
今回伺った際の男性風呂の手前には休憩室がありました。


休憩室はスリッパを脱いで入ります。


ちょっと古い感じの休憩室。
まぁあちこちの温泉街を回った私にはまぁこんな感じだろうというところでしょうか?
麦茶が無料提供されていました。おいしかったよ!



湯殿


湯殿は入れ替え制。今回は手前にある露天利用できる場所が男性でした。
奥の大浴場は女性です。


 脱衣場

さて男湯の脱衣場ですがこんな感じです。


基本笊がおいてありそこに荷物や着替えを入れておきます。
貸しタオルなどは有料で1000円ほど取られるので自前で持ってくるほうがいいでしょう。
そこそこ広い脱衣場ですがトイレはありません。

設置されているのは



髭剃りブラシ、ドライヤーなどです。


 内湯


古いですよねw 内湯は天然の湯ではないようです。
まぁ浴槽は深く肩までじっくりつかれます。
大人五人も入ればいっぱいになりそうな感じです。

設置されているのはボディソープ、シャンプー、リンスです。



 露天

わかりづらいのですが脱衣場の左側にある引き戸の奥が露天風呂です。


建物を外に歩いて出ると露天風呂があります。
まぁ正直こちらもちょっと古い。
水回りというのはとかく古さが気になったりします。
それが味となればまた違うのでしょうがもう少し片付けてきれいにすればいいのにとも思いました。


お湯は少し黄ばみかかった感じ
これはもともとなのかタイルの色なのか?
他にはあまり考えたくないですが...


外のカランでも当然体は洗えますが水はけがよくないので洗い流しの泡が足元にたまってしまいます。せっかくの露天の雰囲気が台無しになるので内湯のほうで先に洗ってから露天に行くのをお勧めします。

温泉?

ここの温泉はメタケイ酸とアルカリというのが特徴ですね。
ただしメタケイ酸は単体において39.5mg/lなので温泉の体をないしておらず
温度も源泉において22℃で鉱泉です。
溶存成分総計も206.05㎎/kg
遊離二酸化炭素は0mg/l
銅、鉄、アルミ、水素、硫黄の養分も見えず
ラドン(Rd)はわからないもののうーんなんだろうということは療養泉にはなっておらずさらにここを温泉と呼ぶべきかどうかすら悩むところですよね。
温泉成分表も温泉等小分析結果書となされておりもしかしてここ温泉と定義できないのではないか?

ただし私はあくまでも素人なので断定はできません。
見ている資料も手元にある温泉分析表(ここでいう温泉等小分析結果書)のみですから...
ただし自分を信じて考えるとここは温泉と定義ができない。そういえば泉名も書かれていませんでした。
ということで温泉という文字を消しますね。

ただしアルカリ性という意味では結構高い数値。七沢はアルカリが強いのでそういう意味で悪い感じはしません。

お湯は少し黄ばみがかった色でちょっとトロミを感じなくはありませんでした。
今回いろいろ考えてみると果たして温泉とは何ぞやということになりますよね。
もしかしたら僕らは温泉だと感じて入っているもの
通称温泉としていたものが実は温泉の定義から外れている可能性もあります。
七沢温泉では代表格の一つ七沢荘は果たして温泉だったのか...
実は成分だけで考えるとあそこも温泉ではありません。ただし温泉の定義では源泉温度が25度以上とあり、そう考えると七沢荘は辛うじて26度を超えており温泉と定義づけられる。七沢荘は療養泉ではないが温泉ではあるといえるんですよね。

以前箱根について温泉と造成泉に気づきました。そこにおいて温泉とは何ぞやという疑問がわいたわけですが今回はまた通称温泉街にありながらも温泉と定義できない宿があるということにも驚きではあります。さらに温泉だから何でもいいというわけではなく通称温泉といえるものと療養泉といえるものが違うというのもここで気づかされました。今回の横浜ウォーカー割特集記事において温泉と療養泉との違いについて少し触れていけたらと思います。

総評

女将の対応は悪くないし、小林多喜二の逗留場所を見ることをできるのはちょっと温泉街としては面白いですよね。でも...果たしてここを温泉と呼べるのか?それが気にかかります。何分にもその温泉等小分析結果書を見た限りではここを温泉と呼んではいけないような...じゃぁ何と呼べばいいかと問われると...地下水湯でしょうか...
七沢温泉といいつつ温泉と呼べるかどうか不明という点がとても気になるところです。
それとデートだとかでは利用しづらいですね。なにせ建物がとにかく古い。温泉通の彼女ならいいですがしかし温泉かどうかもわからにお湯で満足するかどうか気になります。
私個人としては悪くないです。


七沢温泉 福元館(じゃらん予約)


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温泉分析表

温泉等小分析結果書


1.依頼者 住所 神奈川県厚木市七沢2758
氏名 有限会社福元館 代表取締役 古根村義春


2.湧出、揚湯地 神奈川県厚木市七沢2758


3.輸出、揚湯状況


試験名 本館源泉
試験採取日時 平成16年10月22日(持参)
泉温 22 ℃(依頼者の測定による)
揚湯量 33.2 l/min(依頼者の測定による)
湧出形態 - 揚削深度 3.85 m
静水位 - m 動水位 - m


4.試験室における試験成績


pH 9.90 誘電率 0.361×10^2 mS/m(25℃)
知覚的試験 無色透明無臭 蒸発残留物 0.201 g/kg (10℃)
成分総計 0.218 g/kg


成分
含有量
成分
含有量
ナトリウムイオン
Na+
66.3
mg/l
塩素イオン
Cl-
24.3
mg/l
カリウムイオン
K+
0.47
mg/l
硫酸イオン
SO42-
53.8
mg/l
マグネシウムイオン
Mg2+
0.00
mg/l
硝酸イオン
SO42‐
0.00
mg/l
カルシウムイオン
Ca2+
0.09
mg/l
炭酸水素イオン
HCO2-
18.1
mg/l
メタケイ酸
H2SiO2
39.5
mg/l
水酸イオン
OH-
1.35
mg/l
メタホウ酸
HBO2
2.49
mg/l
遊離二酸化炭素
CO2
0.00
mg/l


所見
分析者 神奈川県温泉地学研究所 技術吏員 菊川城司、代田寧
登録分析職員の名称及び登録番号 神奈川温泉地学研究所、神奈川県知事登録第一号
平成16年10月28日


神奈川県小田原市入生田586


神奈川県温泉地学研究所
本多久男





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