GCS step1

全国のライブカメラを地図上に表記

 全国のライブカメラの位置です。 いろいろご利用ください。 https://www.google.com/maps/d/edit?mid=12xkj87OQ_G_CbWapzBhV-c4lc6CExdPl&usp=sharing

2019年9月11日水曜日

【横浜 中華街 中華民国】雙十節(そうじゅうせつ)@横浜中華街

このレポートは昨年10月の体験を元にしています。
中華民国の国慶節。雙十節というそうです。

さて中華街。華僑が元にここの周辺に住み着き
中華街を形成していきました。

果てさて華僑とは何者なのか...

中国人?
中国人の定義とは??

うーん難しい...

というのも中国というのをどう捕らえるかにもよるんですよね。

現在大陸側を抑えているのは中華人民共和国。
対して台湾島を拠点にしているのが中華民国。
それだけでは有りませんよ。香港政府やマカオ政府も有ります。
さらにチベットや内モンゴルなど多くの民族も抱えています。

そう中国と人括りにしてもその範囲や定義はとても難しいということになります。

さてではここ中華街は果たして...

10月になるとこの中華街に
赤色を基調に紺色に白い太陽が描かれた旗が多くたなびきます。

そう10月は台湾を拠点にしている中華民国の雙十節(国慶節)。

国が造られた日ということになります。
国を作ったのはいわずと知れた孫文。

彼が中華民国を作りました。
そして2018年はその誕生から107年が過ぎたわけです。
しかも孫文はこの中華街に滞在したことも有る人物。
ということで台湾系華僑はお祭り騒ぎなわけです。

多くのもようしものが有ります。

たまたま 本当にたまたまなのですが
その中華民国雙十節のお祭りに出くわしましたのでご報告。

今回は中華民国 雙十節@横浜中華街ということでお送りします。




このエントリーをはてなブックマークに追加





さて中華民国の流れはコチラをご覧ください。

ということで中華民国の成立は辛亥革命に端を発します。


辛亥革命の狼煙が上がったのが1911年10月10日。
湖北省武漢市の武昌でした。


それを中華民国は建国の日としてお祝いしています。

さて辛亥革命は先のリンク先で詳しく説明していますが
ちょっと複雑なので補足しますと

列強帝国が世界各地の植民地化に慢心している最中
当時の清はぼろぼろだったわけで
清朝政府の力も弱くなってました。
当時列強帝国は植民地下で鉄道網を広げて統治の力を増しており
清に対しても当然そのような政策に力を注ぎました。
それに焦った清の各省や各私企業でも自ら鉄道を敷設するなど
当時の中国(清)では鉄道建設ラッシュとなってました。
ところが 対外戦争などで惨敗を帰した清朝政府はその莫大な賠償金を
それら建設された鉄道を国有化することでそこからの収益や諸外国への貸し出しを通じて返済しようという作戦に出ます。これが鉄道国有化政策です。

それに反発したのが住民達。自らの出資で折角作った鉄道をむざむざと取り上げられしかもそれらは外国の為に使われる。
そりゃ腹も立つわ...
ということで始まったのが保路運動。

特に激しかったのが四川省で1911年9月には反対運動に来た住民40名が射殺されている。


しかしコレはあくまでも四川省の話し。
ではなぜ湖北省での蜂起が起きたのか...

要はこの四川での事件で清朝政府への不満がどんどん民衆の中にたまり
爆発寸前までになっていたにもかかわらず。
清朝政府の思いのままだった湖北省にもその目が向けられたということ
後は何がトリガーとなるかだけだけの状態だったということなのかもね。

トリガーは中国同盟会の逮捕と処刑。
中国同盟会は孫文が起こした清朝打倒を掲げた革命団体。
そのメンバーが処刑された場所が湖北省の武昌だったわけです。

その事件が発生したのが

1911年10月10日

ということでその日を国慶節(雙十節)といわれるわけです。

さて現在の中国本土を支配する中国共産党。
彼らも当然国慶節を持っています。


当然ながら日にちが違いコチラは10月1日です。
あれ?意外と近いですよね。

コチラは1949年10月1日に毛沢東が天安門前広場にて中華人民共和国の成立を宣言した日だそうです。

ということで実は10月はその国建節と雙十節双方のお祝いをするようでもう横浜中華街はてんやわんやw

こんかいはその内の中華民国 雙十節におじゃましたというわけです。

さてとにもかくにも中華民国雙十節(国慶節)で大盛り上がりの横浜中華街ですが
その中心はココ!


横浜中華学院 関帝廟の隣です。






なぜか!? まぁ当然なのです。
実はこの学校、孫文が作ったんですw
凄いよね。

孫文が日本滞在中に作った大同学校が前身。
なんとも歴史あるじゃないですか...

その後、中華人民共和国系の人たちが独立し横浜山手中華学校となります。


この二つの学校最近人気だそうで日本人も結構な数入学しているそうです。
しかし基本は双方とも華僑を中心に入学させているため
日本人にとっては狭き門だとか...


ということで横浜中華学院が中華民国 国慶節の中心だという理由がわかりますよね。

さて向かってみましょう。

まぁとに角人が多い。
普段だって多いのにね~。

横浜中華学院ではまず国慶節を祝う催し物が開かれ
その後パレードが行われます。

中華学院の入り口には中華民国の旗が...


ミス中華街

なんと見目麗しい女性がオープンカーに乗っていました。


ミス中華街 だそうです。

またチャイナドレスのスリットが胸を打ちます...
えっちだ!
でもエロ可愛い...


キュンキュンしますねw

さて綺麗どころはこのくらいにして...
振り返ると...


まぁ~凄い旗の数。

結構大々的ですね。

獅子舞

ここで色々な催し物が開かれていました。
その中でも一番の見所は...
横浜中華学院校友会の北方獅子舞。

北方獅子舞??
中国の獅子舞は大別して二種類あるようです。
長江より北方の北方獅子舞と同南に有る南方獅子舞だそうで
歴史的には南方獅子舞のほうが古い。

そもそも獅子舞は唐の時代から演じられてきていたようだがその中心は南方のようで
ペルシアの皇帝から中国皇帝へ贈られたライオンを見た民衆がその勇猛を他の者に伝えるために演じられ始めたともいわれている。
南方にはそれを転じた話しなのだが古い昔話がある。広東省のとある村には毎年大晦日に「年(ニエン)」という怪物が現れ田畑の農作物を食い荒らした。困った住民達はニエンそっくりの姿を張子で模して作り、ニエンを追い払ったとか...
それ以来正月には獅子舞が舞われていたがそれでも極少数の小さな村々でのお祭程度だった。それからしばらく経った後、乾隆帝が南方地方を訪れた際、夢の中に1頭の獅子が現れて軽快な足取りで舞ったそうだ。乾隆帝は宮中に戻るとすぐ技術者を招いてその獅子を作らせそれを舞わせた。それが北方獅子舞だそうだ。
その後北方獅子舞は軍事教練に取り入れられ、その引退者達が各地に広めていったという流れのようだ。

多分乾隆帝は南方の獅子舞をご覧になっていたのだろうね。

しかし「年(ニエン)」というのはその怪物の鳴き声だったそうで更に田畑の農作物を食い荒らすが人は襲わなかったというのでもしかしたら...

猫じゃね!?


なんても思うのだがそこはええやろ...w

基本獅子舞は獅子(猫?w)を倒す英雄の話がモチーフ
なのであくまでも獅子は倒される存在だそうです。
主人公はヤリを持った人間のほうなのですが

猫にとび蹴りを喰らわす英雄w

脇役が主役を食ってしまった
いわば昔のおそ松くんや天災バカボンのような状態なわけですw


さてそうなると気になるのが日本の獅子舞との関係なのですが
まぁの時代に始まったということは当然遣唐使を派遣していた日本に伝わっててもおかしくないですよね。
仏教行事に「伎楽(ぎがく)」というのがあるようなのですがその中に「師子」と「師子児(ししこ)」というのが含まれており、「日本書紀」に推古天皇(第33代天皇)二十年(西暦620年)に百済から我が国に帰化した味摩之(みまじ)が、「呉(くれ)」で学んだ伎楽を「桜井」の地に伝えたとあるようです。
ただし日本において獅子舞は一人獅子舞と二人獅子舞とがあり、更に「シシ」とは獣一般を指す言葉で獅子だけではなく、鹿や猪なども含んでいる。同じく「日本書紀」には弘計王(第23代天皇)が鹿の角を奉じて舞ったとあり、一人獅子舞はすでに伝来以前にあったのではないかとの指摘も有る。

ところで南方獅子舞は二種類あって鶴山と仏山があるようだが
日本には仏山が中国獅子舞として入ってきて現在はそちらが主流のようです。

しかし今回横浜中華学院校友会では北方獅子舞を舞ってくれるようす。

じゃぁ 見てみましょうね。


どうでしたか?
結構面白いよね。

さて獅子舞を堪能した私たちはちょっとブレイクタイムで
最近僕らのトレンドである中国茶 悟空茶荘へ...
まぁその話しはまた別口でおつたえするとして

その後パレードがあるということで中華街大通りへ... 

パレード

さぁ パレードだ! 



と...
いっても...
もうさ
ディズニーランドのパレードを見慣れている僕ら日本人にそんじょそこらのパレードを感動する術がない。
ということなのだけどなかなか楽しかった。
感動する場所というと高校生のブラスバンド...コレはなかなか凄かった。

始めに中国皇后のような一団が通り過ぎます。




その後舞姫のような一団が...




綺麗ですね~

民族衣装を着た人たちも居ましたが多分それは台湾の山岳民族かな??


しかし驚くのは




子供達が多いこと...


おいおい 日本は少子化なんじゃないのか!?

いや そうか 華僑だよね。

その内日本人が居なくなって華僑国家になるかもw
まぁそれも悪くないw

さてこのパレードでのメインといえば...
やはり龍舞...


日本での龍舞といえば思い出すのは長崎くんちなんですが
あれは当然中国から伝わったもの...

実は獅子舞と違い、龍舞はその起源がわかりやすい。
前漢の董仲舒(とう ちゅうじょ、紀元前176年? - 紀元前104年?)が書いた「春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)」という書物に雨乞いの儀式であることが書かれているようです。

長崎くんちについては元々は寛永11年(1634年)二人の遊女が諏訪大社に踊りを奉納したのが始まりで其の後享保年間に蛇踊りなるものが加わったのが今に至っているようです。

では龍舞見てみましょう。


さてということで一団は通り過ぎていきました。

13:00ころ見初めて
15:30に見終えました。

ざっくり二時間半
なかなか楽しめた一日かな?


10月は中華街にとって中華人民共和国と中華民国がせめぎあう時期!
日本ではその双方が邪魔をしないように勤めています。
いいですね。

色々面白いイベントが目白押しなので是非中華街に遊びに行ってみてください。


デートに家族で楽しめる時期だと思います。




このエントリーをはてなブックマークに追加










0 件のコメント:

コメントを投稿