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2018年3月3日土曜日

【您好、臺灣(台湾)!士林夜市編】士林慈諴宮に行ってみた!

士林夜市を後にした私らは折角ならその士林夜市を開いた元となる士林慈諴宮(スーリンチーシエンゴン しりんじかんきゅう)に行ってみようと元来た道に入りました。

目の前にはなんとも派手なお堂が…
士林慈諴宮です!

こんかいは士林慈諴宮です。


↓やはり士林夜市を楽しむなら近くの宿がいいよね。
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士林慈諴宮は士林媽祖廟ともいわれ海の女神 媽祖をまつるお宮です。
なんかさ、中国って言うと仏教のイメージ強いけど本来は道教、儒教を主軸にしてていろんな神様がいる日本同様混合宗教国家なんだよね。
どこのだれかが偉そうに日本はなんでも受け入れる国、不思議の国日本なんて特別視して、マスメディアに載って皆信じちゃったけど、実際、混合宗教なんてどこにでもあるんだよね。

媽祖(マソ)とは先にも書いたとおり海の女神。元々は福建省莆田海辺の郷土神。


湄洲島がその起源といわれている。


宋代の元祐(げんゆう)2年(1087年)に泉州が貿易港として開放されると俄かに舟師に信仰が広がり、福建・浙江(せっこう)一帯に広まる。




元代にはいると江南から燕京(えんきょう 今の北京)への米穀輸送が広がると朝廷から天妃(てんぴ)の号に封ぜられ全国的に航海の守護神として祀られるようになる。
明代に入ると信仰は内地にまで広がり、1405年の鄭和(ていわ)の西洋遠征、琉球柵封などで祀られ、琉球、薩摩、長崎に広がる。日本ではヤマトタケルの妻オトタチバナヒメと融合する。オトタチバナヒメといえば走水において身をなげ海神に荒海を沈めるよう祈願した。その点考えると融合も解る気がしますね。

そのころ台湾にも信仰は広がり今日の台湾では強い信仰があります。

清代康熙23年(1684年)には天后(てんこう)に封ぜられたため祠廟(しびょう 祭壇)には民間の媽祖、宋代の天妃、清代の天后とそれぞれ掲げられている。

台湾は中国本土側にも領土が有りますね。烏坵島ですが中華人民共和国側では莆田市に属するとなってます。福建省に近い台湾には広がりやすい信仰だったのかも知れません。

それに清朝初期、清朝に抵抗した鄭成功(ていせいこう 1624年-1662年)は福建省泉州出身の政治家。彼の抵抗は上海や福建省、香港などの沿岸周辺で行われ、劣勢となるやオダンダが支配していた台湾を攻略し鄭政権を樹立しています。媽祖信仰を持ち込むのは至極当然ですよね。
因みに鄭成功は日本人とのハーフ。日本平戸の田川マツと明代末に貿易商として活躍した鄭芝龍の子供です。台南市にある鄭成功祖廟では田川マツと立つ鄭成功の像が有ります。

さて媽祖はそもそもどういう神であったかなのですが実在した人物黙娘が神になったという話があります。黙娘は宋代に実在した官吏の娘だったそうで福建省興化府の官吏林愿の7女だったそうです。聡明な子だった黙娘は16歳のとき神通力を手に入れ崇められたが28歳のとき父親が海難にあい行方不明に...悲哀した彼女は旅立ち峨嵋山(がびさん)で仙人にさそわれ神となったという話が有ります。
その媽祖が従えているのは千里眼と順風耳の二神を従えているというから彼女の手にした神通力とはその二つなのかもしれませんね。因みにその二神は邪神とされておりその邪神をすら従える神として一目置かれるようになったということですがなんとなく日本のホラー映画「りんぐ」に繋がりますよね。
もしかしたら「りんぐ」は媽祖を元ねたにしているのかも...
実は媽祖、他にも伝説があり父を追って船をだして遭難したという話も有ります。台湾連江県にある媽祖島(馬祖列島、現在の南竿島)には黙娘の死骸が打ち上げられたとされ名前の由来になってます。
浙江省の舟山群島では観音菩薩との習合がなされています。そういえば台湾では観音菩薩を祀るところも多いですね。そういう意味もあるようです。

因みに横浜にも媽祖廟有ります。

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士林慈諴宮についてもうすこし...

そんな媽祖を祀った士林慈諴宮。清朝嘉慶元年(1796年)に何錦堂なる人物が土地を寄進して建てた廟が前身で当時は「天后宮」と呼ばれていたそうです。
咸豊9年(1895年)漳州人と泉州人の争いが発生。天后宮もろとも芝蘭街(旧市街地)は破壊されてしまいます。


土地の名士である潘永清は場所を移した下樹林に新しい町を再建。それが士林の新市街地になります。街の中央に廟が設けられそれが慈諴宮となります。

1895年といえば日本の台湾統治が始まった年代。混乱している時期だったのかも知れませんね。

さて士林夜市を出ればすぐのところに慈諴宮はあります。

もうとにかく派手!赤、金、黄色。
まばゆいばかり!


すごいです。


しかもこの時間(夜八時近い時間)でも人の出入りが激しい!
信仰の厚さを感じますね。


荘厳とはこういうことをいうのでしょうかね?


右側に鎮座されているのが媽祖さまの大型像ですね。
これがご本尊??天上聖母とありますね。



坊もいました。


脇の回廊もまたなんとも中国って感じがします。


とにかく意匠がすごいんですわ...


多分こちらは玉皇上帝の文昌帝君じゃないかね~
文昌帝君は文章をつかさどる神として学問の神といわれています。
玉皇上帝(大帝)は道教における最高神で万物の支配者。
道教の最高神は時代によって変わっているらしいです。
はじめに元始天尊
つづいて元始天尊と老子を含んだ三清。
徐々にそこから三清の下に四脚が加わる。
玉皇上帝が最高神となるのは宋代以降。三清が生まれ変わった姿が玉皇上帝ということになっている。

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そのお一方が文昌帝君。もちろん通常の廟にはご本尊のほかにこの玉皇上帝が加わることが多いようだ。この慈諴宮にもあるのだろうが写真撮影したのはこれだけ。


にゃんこちゃんもお参りに来てたw


自由だねw


おっぱいがいっぱいw
幸せ...w


冗談のような話かも知れないけど多分この行灯、本当におっぱいだろうね...
媽祖は女神であるためにはじめは航海の神として崇められていたけど徐々に安産だとかの神として崇められるようになって行きます。
ギリシアの穀物の女神デメテルのアジア側の像の多くはおっぱいがいっぱいつけられているものが多い、おっぱいは基本優しさや豊かさの象徴。当然そういう意味でもあるかもしれませんね。

内側から外(士林夜市側)を撮影。


外に出て士林夜市を撮影してみました。


ということでお参りは終了です。


かるーくお参りする程度なら10分もあれば充分です。
でも意匠が凝らされた慈諴宮。ちゃんと観て廻りたいなら30分くらいかけるのもいいかもね。中華民国三級古蹟に指定されています。

総評:うん いいね 士林夜市にあるというのがアクセスしやすいし、とにかく意匠がすばらしい!一見の価値あり。まぁこのような廟は台北には多いからどこに入っても面白いけど、歴史を背景とした建物はそうは無いのでいって見るといいね。まぁ夜市ついでにというのがいいとおもう!

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