さて、すでに故宮博物院の至宝を拝んでしまいましたが、つづいての展示エリアでは玉を通じて中国との繋がりや細工技法の発展を垣間見ることができます。
部屋番号 306 308
敬天格物-中国歴代玉器展
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中国と玉とは切っても切れない関係にあります。まだ文化も発達していない時代に中国人は玉と出会い、玉と密接にかかわってきました。
玉とは基本、翡翠を指すようです。
日本にも勾玉など翡翠を珍重した文化が大陸から伝わりました。山梨では翡翠の大珠があります。現在見つかっている世界最古の翡翠加工場は日本の新潟県にあり、太古日本でも珍重されていたのがうかがえますがなぜか奈良時代以降衰退しています。
中国文化圏から離れた日本が奈良期以降独自文化路線を取り始めたことが垣間見えます。
太古中国は当然まだ国なるものの存在もしていない時期。
その頃は文化圏で話をしてくることになります。
紅山文化 良渚文化 三星堆文化等々、まだ民族としても多種多様な人々がいた時代、混沌とした時代からの始まりです。
さて展示物は太古のものから徐々に近代のものに移行していきます。
円形に造られた大きな玉。
中国人ツァ-団体が
一所懸命写真撮影してました。
この円形のものは本当に古いモノ。
玉加工の初期のモノのようです。
原始人のお金のようでもありますね。
玉には硬玉と軟玉とがあり、現在では硬玉こそを宝石とみなされ軟玉については中国以外では半貴石分類。
紅山文化
興隆洼文化晚期至紅山文化早期
4.白石女神
White stone Goddess
Late Xinglongwa to early Hongshan Culture circa 5500 - 4000 BCE
購玉399
女神像ですね。しっかしさすが中国!年代が...w
BC5500-4000って...w 日本なんかとは比べようが無いw
紅山文化は現在の河北省。満州の東あたりの文化です。
当時から龍の彫刻があるなど現在の中国文化に通じるものがあるとか...
良渚文化
続いて展示されているのは
この丸く加工された玉も古いモノです。ルーペの箇所に図形が掘られてるのですが…みえないね。
The Messenger Bird of Heaven
The Liangzhu people, perhaps influenced by their ecological surroundings, believed in light and quick birds such as swallows or turtledoves. The hi disc exhibited here is very lightly engraved with a sign of "bird on the altar, symbolic of the messenger bird sent by the Supreme Ruler of Heaven and perching high on a tall post. The altar below is also marked with a mythical bird, wearing a crown, wings wide spread, inside the circle indicative of the sun are lozenge-shaped patterns, the secret codes between the Liangzhu residents and the Supreme Being above, Microscopic observation reveals that the lines are intermittent and extremely shallow. The back of the messenger bird is incomplete, as a circle of the dise rim has been sheared of The dotted line gives what it might have looked originally.
翻訳 by Google先生
天使の鳥
おそらく生態学的環境に影響されたLiangzhu(良渚)の人々は、鳥や鳥などの軽くて早い鳥を信じていました。ここのハイディスクの抽出物には、「祭壇の鳥」という看板が刻まれています。 最高の天国の支配者で、背の高い柱の上に高く腰を下ろしている。祭壇の下には、王冠をつけた翼が広がっていて、太陽を表す円の内側には菱形のパターンがあり、 居住者と上記の最上の人との間で、顕微鏡観察は、線が断続的で極端に浅いことを明らかにする。メッセンジャーの鳥の背面は不完全であり、辺縁の円は剪断されている。
The Liangzhu culture (良渚文化 りょうしょぶんか 3400–2250 BC)
は長江文化圏の一つのようで1000年ほど繁栄し稲作都市文明を形成していたが洪水で壊滅。一部が黄河中原に北上し夏王朝を作ったという説がある。夏王朝下において配下にあった東夷后羿部族にその後滅ぼされ、四川盆地に移住し三星堆文化を作っていく。
時代は徐々に新しくなっていって、加工技術も上がってきます。
「鳥立高杆」的秘密
遠古的先民抬頭望天·最羡慕飛鳥可以自由翔於
那高不可攀的大際·因此·相信神玄之鳥既是天帝
的使者·又是大帝的化身·也是大上太陽的象徵·
生活在不同環境裡的人群·崇拜的「玄鳥」種類不
一 。遼河流域到海岱地區的先民·信奉有厚實彎像
的鷹鳥:江南地區則信奉鳩·燕這類可愛的小鳥·
將玉雛的玄鳥橘在高杆上·或直接用美玉離琢「鳥
立高杆」的造形·都具有通神的法力。
翻訳 by Google先生
鳥の秘密は高く立つ
古代の希望の祖先が見上げて、最も賞賛された鳥は自由に翔することができます偉大な機会を登ることは不可能なので、神秘的な鳥は両方の神であると私は信じています。メッセンジャーは、再びグレートの象徴であり、偉大な太陽の象徴でもあります。
異なる環境に住む人々は「天才」種を崇拝しない1つ 海淀地域の祖先に遼河は太い曲がりを信じてイーグルの鳥:江南地域、鳩 - これらのかわいい鳥のようなヤンユ・ヒョンのヒョンジャオ・オレンジ・ポール、または美しいヒスイ・カットの「鳥」から直接柱の突起 "の形は、神の力を持っています。
なんかワロタw
夏王朝
夏王朝といえばかつては単なる伝説上の国とされていましたが
最近は徐々に現実のものとなってきつつあります。
紀元前1900年頃 - 紀元前1600年頃 中国の史記によると中国最古の王朝のこと。
河南省偃師市にある二里頭遺跡は炭素年代測定により殷よりも先にできた文化であることが実証され、しかも殷はその文化を取り込んだ形跡がみえるところからその二里頭遺跡が夏の都市ではなかったかといわれています。因みに人口は二万人ほどでした。
二里頭遺跡には宮殿を備えた文化があり、夏王朝の実在を匂わせています。
二里頭遺跡は紀元前1800年から紀元前1500年頃の遺跡。
夏王朝の始祖は禹で、五帝の一人顓頊の孫とされている。
大洪水後の治水事業に失敗した父に代わり黄河流域の治水事業を手がけ高い成果を上げた。周囲からの推薦もあり、帝位に付くと陽城(現在の登封市)に都城を定め夏王朝を立てるのです。
西周王朝
時代は殷を飛ばして西周。
細工も巧みになっていきますね。
このころ圭璧制度という玉礼制の元ができます。玉礼制とは埋葬品に関する玉の利用についての文化制度ですね。この圭璧制が確立したのが西周。そこから漢代にいたるまで玉と埋葬品についての関係が発展していくことになるようです。
日本でも古代といわれる古墳時代以前は玉を身に纏った埋葬遺体が発見されてますね。
戦国期から漢にいたるまで
The All-Powerful Jade Bi Disc
The Jade bidisc was the top article in the ritual hierarchy. It was used in sacred worship as well as secular ceremonies, such as in recruiting talent, proposing a marriage, betrotha is new year audience and celebrations at the court, and so on. A funerary suit sewn of jade would wrap the deceased body, with a hidisc specifically for the apex of the head of the he end of the coffin, so the soul would hopefully pass through the central hole of the disc into cle inity. The patterns that adorn the jade discs from the Warring States Period to Han dynasty in clude designs in cloud, cloud scroll, grain, rushmat, embossment, and sometimes with most dragon-phoenix or four-deity, and auspicious phrases.
翻訳 by Google先生
オール・パワフルなジェイド・ビー・ディスク
ヒスイビデスクは儀式上の最上位の記事であった。 それは、才能を募集すること、結婚を提案すること、ベテトロサは新年の聴衆であり、裁判所での祝典など、神聖な礼拝や世俗的な儀式にも使用されました。 翡翠の縫製された葬儀の衣服は、棺の端の頭の頂点のために特別に隠れた体を包んでいたので、魂はうまくいけば椎間板の中央の穴を通り抜けてうまくいくでしょう。 戦国時代から漢王朝時代までの翡翠の飾りの模様は、雲、雲のスクロール、穀物、ラッシュマット、エンボス、時にはほとんどのドラゴン・フェニックスや4つの神格、そして幸運なフレーズでデザインを彩る。
相当細工が高度化してますね。
漢王朝
西漢(前漢)
中国では前漢のことを西漢と呼んでます。都を長安としたため後漢(東漢)の都、洛陽より西に都があったためです。西漢は紀元前206年 - 8年の王朝。劉邦によって建てられました。
東漢(後漢)
後漢は25年 - 220年。クーデター王朝の新の後、漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が再興した王朝。
清王朝
時代はぐっとさがって清になります。
本当はもっとあったんだけど気になるのだけ撮影してますのでw
乾隆帝
清乾隆 「三希文翰」玉冊
Jade Album: Three Rarities Qianlong Reign
Qing dynasty
1736–1795 C E.
故玉3497-3500
清中期
玉鏤雕山水人物香囊
Jude Sachet with openwork landscape and figure motif ndere
Mid Qing dynasty
1736-1820 C.E.
さすが清朝最高の時期と称された乾隆帝の時期。
宝物が本当にすばらしい!
乾隆帝は清朝六代皇帝。在位1735年 - 1795年。
嘉慶帝
嘉慶帝。乾隆帝の15男。在位は譲られたもののしばらくの間乾隆帝が実質権力を握っていた。在位1796年 - 1820年
清中晩期
民国期
そしておおとりとしてあるのがの屏風...
こりゃすごい!
細部まで細かい技巧が尽くされている...
民国
碧玉屏風
此屛風所嵌爲緑色閃玉,曾被誤認爲輝玉,定名爲「翡翠屏風」,早年已經鑑定後改爲「碧玉屏風」。
第10櫃展出的玉瓶,曾被誤認爲閃玉、定名爲「碧玉瓶」;近日經拉曼光譜鑑爲輝玉。因局部成褐紅色,故改名爲「翡翠」 。
The nephrite inlays on the screen were once mistaken for and erroneously named as Feicini Screen. It has Soon Ideen Corrected alter verlin Contrarily, the jadeite vase in cabinet 10 used to be mistaken for nephrite and accordingly named "Green Nephrite Vase'. Recent analysis by Raman spectroscopy confirmed that it is actually of jadeite. Renamed to Feicuikingfisher feathers) because of its partially brownish-red tint.
Green Jade Screen
中日戰爭期間汪精衛贈日本天皇,戰後歸還。
This piece had been given to the Emperor of Japan by Wang Jingwei as a gift during the Sino-Japanese War and was returned after the end of the war.
Republic era
circa 1940 C.E.
これ原材料が間違っていたようで名前が変わったそうです。
なお日中戦争中に汪兆銘が昭和天皇に献上されたそうですが
戦後返されたそうです。
ということで玉の勉強は終了です。
しかしですね。正直日本人の僕にはあまり響きませんでしたね。
まぁ最後の屛風などはとても綺麗で美しいんですけど
玉というと古墳の中に入っているという印象しか持っていませんからね~
中国の人にとっては美しい宝物と同じように見えるんでしょうね~
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